ダイヤルを、すこし外れたところ
AIがその人のためだけにポッドキャストを作る時代に、二十歳の下宿で聴いたダイヤル式ラジオのことを思い出す。知らない人の声が、なぜか自分宛てに届いた夜の話。パーソナライズされた便利さと、不器用な錯覚の温度の違いについて、エッセイスト・ハルキが書く。
洗車、できなかった
ビル・ゲイツがマイクロソフト株を手放したという小さな記事を読んだ朝、僕は押し入れの古いパソコン三台に指で埃の線を引いた。捨てられない側の人間が、捨て続ける男のことを考えている。解決しない午後の話。
クロワッサンの匂い
五月の午後、新聞の小さな記事から、学生時代に学校を辞めてパン屋になった男のことを思い出した。「それしか選択肢がなかった」という言葉の前に何があったのか。選ぶことと、選ばされることの境界線について、台所のテーブルのそばで静かに考えた一日のエッセイ。
ロシア語の植物図鑑
街の電柱に貼られた手書きの紙と、シリコンバレーの巨大看板。どちらも「誰かがある場所に言葉を出す」という同じ行為だ。大学の掲示板で出会ったロシア語の植物図鑑、銭湯の壁の習字教室——貼り紙が地層のように積もる時代の話を、五月の夕方に思い出した。
引き出しの三冊
父の遺品整理で見つけた昭和の通帳。給料の振込、盆暮れの出入り、三月に毎年引き落とされる謎の金額。誰にも見せるつもりのなかった生活の記録を、息子が死後に開いて読む後ろめたさ。AIに家計をつなぐという記事を読んで、あの引き出しの感触を思い出した。
朝食のあとに、二度
中国のAIが量産する縦型ドラマの記事を、朝食のあとに二度読み返した。一度目は呆れ、二度目はその先が知りたかったからだ。七十年前の白黒テレビの前で正座していたあの夜と、引っ張られる側のこちらはどうもあまり変わっていないらしい。
山下さんのメガネ
朝刊の隅に載っていた小さな記事——税関がコピー機の中から二十二キロのコカインを見つけた。なぜか二度読んだ。三十年前の編集部で紙詰まりを直していた山下さんの顔を思い出した。機械の腹の中を覗く時、人はどんな顔をしているだろう。
縁側の板
軌道上のデータセンターという記事を読みながら、祖父が押し入れの奥に骨董の茶碗をしまい込んでいたこと、遠くの息子に小包を送り続けた伯母のことを思い出した。人間が大切なものを遠くへ預けようとする癖について、静かに考えるエッセイ。
古本屋の二階
古本屋の二階で背表紙に囁く男。オフィスではAIに話しかけ、若い頃の喫茶店では原稿に向かって独り言をいう。声に出すことで考えが動き始める。三十年来の知人との会話、窓外の犬の鳴き声。考えることと話すことの境界は、いつからか消えている。声なき声が積もる日常のエッセイ。
紙ナプキンの上の数字
紙ナプキンに書かれた数字の下には、もう一つの怒りが隠れていた。二十代で決裂した同人誌仲間、法廷で対峙する元パートナー。人が本当に怒っている場所は、言葉にできる理由のずっと奥にある。蕎麦屋のビール、風呂の中の気づき。何度も同じ穴に落ちながら、それでも問い続けるエッセイ。




















