二月の電気料金

台所の隅に、読みかけの本が三ヶ月、伏せたままになっている。しおり代わりに挟んだのは二月の電気料金の明細だった。勧められた本を読み通せない、という繰り返しについて。叔父の書棚と、読まれなかった本と、消えていく時間のこと。

十円玉が落ちる音

引き出しの奥から出てきたテレフォンカードを手に、二十代の国際電話の記憶が戻ってくる。十円玉が落ちる音を聞きながら、残り枚数を指で数え、言葉を選んでいたあの夕方。便利になった時代に、何かが静かに変わったことを書いたエッセイ。

太平洋の真ん中

夏の読書リストが新聞に載っていた。AIが筆頭に選んだ本のタイトルは確認する気になれなかった。子どもの頃、図書館の踊り場には誰も回さない地球儀があった。背表紙の色だけで本を選んでいたあの夏のことを、なぜか今でもよく覚えている。

砂利の食い込み

ラスベガスでドーピングを公認した「強化版オリンピック」が開かれたという新聞記事を読んだ日のこと。補助輪を外した九歳の空き地と、眼鏡をかけた中学の朝と。自分のどこまでが自分の力なのか、僕にはいまだに判然としない。村上春樹風エッセイ。

消去法でそうなる

コックピットボイスレコーダーの声をAIで復元するという話を読んだ。そこから、亡くなった祖父の声をもう覚えていないことに気づく。文字の形だけ残って音が抜けた記憶、四十年かけて自分で編集してきた「声らしきもの」、そして台所の引き出しから出てきたテレフォンカード三枚。村上春樹風エッセイ。

蝶番のねじ

AIが特定の単語で止まるという話を聞いた。それで思い出したのは、小学校の担任が「この教室では使わないこと」と言った、あの日のことだ。禁じられた途端に重みを持ち始める言葉の不思議を、六十年以上経った今も手放せずにいる。

クロかシロか

新聞の片隅に、七百光年先の惑星の天気が観測できるという記事が載っていた。五月の台所でそれを読みながら、三年間隣の席にいたT君のことを思い出した。遠いものと近いものについての、静かなエッセイ。

カチャリという音

AIが好きな歌手の声でカバー曲を作る時代になったと新聞で読んだ。中学生の頃、ラジカセに向かって好きな曲を歌い、まったく似ていない自分の声を何度も聞き直していた。似ていないことの、長い話。

注ぎ口のへこみ

二十数年使い続けた薬缶に、今朝はじめて気づいた小さなへこみ。変わらないものほど見えなくなる——理髪店の店主の船の話を、僕はろくに聞かなかった。聞き直す機会はもう来ない。台所の光の中で静かに転がる、見落としの記録。

薄い緑色のタイル

グーグルの検索窓が二十五年ぶりに変わるという記事を読んで、ふと思い出したことがある。四十年通っていた八百屋の床のタイルの色を、閉店してから初めて知ったこと。柱の傷、駅の時計、消えた八百屋——変わらないものは、消えた後にしか見えてこない。AIと日常をめぐるエッセイ。