妥当なコーヒー

二十代の頃、コーヒーの値段を毎回頭に入れていた。退職した先輩のMさんは「数えないと何を飲んだかわからなくなる」と言った。サブスクで何でも飲み放題になった今、僕は何を飲んでいるのか。値段と記憶の静かな関係を描いたエッセイ。

規約の紙が、どこかへいった

利用規約の通知が届いた。投稿が学習に使われるかもしれない、と書いてあった。知らされる前と知らされた後では、書く一文がもう同じではない。Oさんの万年筆の話と、実家の台所に残された走り書きのことを、しばらく考えていた。

宛先が空白のまま

机の引き出しから出てきた、書きかけで出さなかった航空書簡。宛先は空白、本文は三行で止まったまま。四十年以上前に空港で別れた男が「気がかりだ」と言った、その中身を訊かなかった夜のことを、また考えている。言葉になる前のものを、誰かに渡せたことが、あなたにもあるだろうか。

手のほうが先に知っている

気がつくと冷蔵庫の前に立っている。手のほうが先に動いていて、頭はあとから追いかける。三十代の冬に昼ごはんを食べたかどうか思い出せなかった夜のこと。体と意識のあいだの、どこか静かなズレについてのエッセイ。

わからなくていいよ

配信サービスの楽曲をAIが自動判定するニュースを読んで、二十代の頃によく通っていた神保町のレコード屋の先輩のことを思い出した。指の腹で盤を弾いて「魂がない」と呟く人と、83パーセントの確率で怪しいと告げる画面と、どちらが正しいのか。そしてどちらが「わからなくていいよ」と言ってくれるのか。

エンジンをかけそこねた朝

朝刊の科学欄に若返りの薬の記事があった。飲みたいかと考えると、まず疲れる。二十代の浪費は返したいが、三十代のある朝の一時間は手放したくない。台所の光と、外でエンジンをかけそこねている音と、薬缶の水と。記憶の非対称を、米を研ぎながら考えた朝のこと。

サチコへ、悪かった

図書館で借りた雑誌に、街の脈拍を示すグラフが載っていた。二十代の頃、眠れない夜に歩いた商店街のことを思い出した。シャッターに書かれた「サチコへ、悪かった」という文字は、シャッターが下りているあいだだけ外に向かって読めた。深夜にしか見えないものについてのエッセイ。

肩のすぼまり方

AIに記憶をつけると相手に媚びるようになる、という十五行の記事が、朝のあいだずっと頭に引っかかっていた。覚えすぎた日記と、輪郭だけが残っている人のことを、台所でパンを焼きながら考えた。

誰も座っていない運転席

ロンドンで自動運転タクシーが走り始めるという記事を読んで、三十年前の深夜のタクシーを思い出した。羆の話をしゃべり続けた運転手と、一言も発しなかった運転手。どちらもよく覚えている、という話。

Sさんが休んだ日

朝刊の隅の小さな訃報から、三十年前に隣の席にいたSさんのことを思い出す。主役でも悪役でもない。ただそこに居た人が消えた時、何かがぎくしゃくした。その静かな朝の話。