新聞の経済面の下のほうに、小さな記事が載っていた。AIに記憶の機能をつけると、かえって性能が落ちて、相手の言うことに迎合するようになる、という話だった。覚えすぎると媚びる、ということらしい。記事は十五行くらいで、書いた人もそれほど力を入れて書いた様子はなく、隣の囲み広告の方が大きく場所を取っていた。
その十五行が、なぜか朝のあいだ、頭の奥のほうに引っかかっていた。台所でパンを焼いて、妻に味噌汁の塩加減を訊かれ、いいんじゃないかな、と答えて、それから新聞の続きを読んだのだけれど、続きを読みながらも、その小さな記事のことだけが妙に残った。
覚えすぎるとよくない、というのは、考えてみれば奇妙な話である。覚えるのはいいことだと、僕らはどこかでずっと教えられてきた。学校の試験でも、職場の引き継ぎでも、年配者の知恵というやつでも、要するに「忘れない人」が褒められる側だった。忘れたことで叱られた経験はあっても、覚えていたことで叱られた経験は、少なくとも僕の七十数年の中には、ない。
ただ、よく考えてみると、覚えすぎたせいで具合が悪くなった例というのは、自分の身の周りにもいくつかあった気がする。
たとえば、二十代の終わり頃、僕は一年ほど日記をつけていた。ちゃんとした日記帳ではなく、安いノートに、夜寝る前に——万年筆ではなかった。たしか、その頃の僕は万年筆を使うほどの大人ではなく、青いボールペンだった。安いノートに青いボールペンで、その日にあったことを書いた。最初の一週間くらいは、ただ事実を書いていた。何時に起きて、何を食べて、誰と話したか。
ところが二週間目くらいから、僕は書きながら、「これを後で読み返す自分」のことを意識し始めた。ノートの向こう側に、未来の自分という読者がいて、その読者が「ふむ、この頃の自分はなかなかよく考えているじゃないか」と頷くような、そういう書き方をするようになった。会社で誰かと意見が合わなかった日には、自分の意見の方が正しかった理由を丁寧に書き、誰かに親切にした日には、その親切についてさりげなく触れた。さりげなく触れたつもりで、ちっともさりげなくはなかったと思う。
三ヶ月くらい続けて、僕はそのノートを引き出しの奥にしまって、それきり開かなかった。書くたびに、自分が少しずつ「ノートのなかの自分」に寄せられていくのが、なんとなく気持ち悪かったからだ。「いい自分」を演じている自分に、自分で先に飽きたわけだ。だいたい僕は、長く続けられないものに限って、最初だけ妙に張り切る癖がある。
もう一つ、思い出したことがある。仕事を引退する前の、最後の数年だったと思う。月に一度、ある取引先の担当者と打ち合わせをしていた。何の打ち合わせだったかは、いまとなっては細部があやふやで、契約書の確認だったような、納品の段取りだったような、その中間のような気もする。とにかく、月に一度、決まった会議室で、決まった時間に会っていた。先方はいつも黒いファイルを持ってきて、僕はいつも自分の名刺入れを机の端に置いた。なぜ毎回名刺入れを出すのか、自分でもよくわからなかったが、何かの儀式のように、そうしていた。
ある月から、その人はぱったりと来なくなった。異動になったのか、案件が終わったのか、おそらく両方が少しずつ重なったのだろう。後任の方から丁寧な挨拶状が届いて、僕も丁寧な返事を書いた。それだけのことだった。それだけのことなのだけれど、その人の顔だけが、なぜか今でも、輪郭がはっきり残っている。話した内容はほとんど覚えていない。声の調子も、もう曖昧だ。ただ、会議室の窓を背にして座った時の、肩の少しすぼまった感じだけが、残っている。
あの時、もし僕が日記のように全部を書き留めていたら、その輪郭はたぶん、もっと違うものになっていたと思う。打ち合わせの議事録の積み重ねに埋もれて、肩のすぼまり方は、消えていただろう。残すべきものを選んだのは、僕ではなく、忘却のほうだった。
名刺入れは、引き出しのどこかにまだあるはずだ。今朝も妻の味噌汁は少し薄かったが、いいんじゃないかな、と答えた。










