五月の午後、郵便受けから新聞を取って戻ってくる途中で、国際面の小さな記事に目が止まった。どこか遠い国の大学で、学生たちにドローンの操縦士になることを勧めているらしい、という話だった。前線には出さない、待遇もいい、と大学側は約束しているそうである。記事は十五行ほどで、写真もなかった。僕は新聞を畳んで、台所のテーブルの上に置いた。湯を沸かしながら、なぜか自分の学生時代の進路相談室の匂いを思い出していた。インクと、合板の机と、誰かの整髪料の混ざったような匂いだった。
あの頃、進路という言葉は妙に重たく響いた。重たいというより、輪郭がはっきりしないまま重たかった、と言った方が正確かもしれない。教師たちはみな、自分の人生について語るのを照れているようなところがあって、結果として「まあ、よく考えなさい」という意味の言葉ばかり繰り返した。よく考えるためには、考える材料がいる。その材料がなかった。
同じクラスにK君という男がいて、彼は二年生の春に「パン屋になる」と決めて、三年生の途中で本当に学校を辞めた。実家がパン屋だったわけではない。本人は、ある朝駅前のパン屋の前を通ったらクロワッサンの匂いがして、それで決めたのだと言っていた。クロワッサンで人生を決めるというのは、当時の僕にはずいぶん乱暴に思えたものだが、今になって振り返ると、彼の方が線を引くのが早かっただけのことかもしれない。
K君がその後どうなったかは知らない。ただ、二十年くらい前に小田急線のどこかの駅前で、K君に少し似た顔の中年男がパン屋の店先に立っているのを見かけたことがある。声はかけなかった。声をかけるほどの関係でもなかったし、人違いだったら気まずいというのもあった。それにしても、あの男がK君だったとして、クロワッサンを焼いていたのかどうか、今でも少し気になっている。どうでもいいといえばどうでもいいのだが。
家の事情で進学を諦めた者がいた。親に決められた職業に黙って従った者がいた。何も決めないまま卒業して、そのままどこかへ消えてしまった者もいた。僕自身がそのどれだったかと問われると、正直なところよくわからない。選ばされたわけでもなく、選ばなかったわけでもなく、なんとなく書店の本棚の前で時間を潰しているうちに、気がついたら何かが始まっていた、というのが近い。だいたい七割くらいの夜は、自分はちゃんと選んできたつもりでいる。残りの三割の夜には、いや、選んだのではなく流されてきただけだろう、と思う。たぶん、どちらも当たっている。
記事に戻ると、ドローンの操縦士を勧められた学生本人の言葉は短かった。「それしか選択肢がなかった」と、その学生は答えていた。それしか、という三文字の前に、いったいいくつの線が引かれていたのだろうかと考えた。クロワッサンの匂いみたいに、ある朝ふと通りかかった場所で偶然何かに出会う、というほど運のいい話は、誰にでも起きるわけではない。
妻が買い物から戻ってきて、台所のテーブルの上の新聞を見て、「これ、まだ読むの」と訊いた。読まない、と僕は答えた。妻は新聞を畳み直して、紙束の方へ重ねた。それから少し考えるような顔をして、こう言った。「うちの父はね、戦争に行かされる前に終わったの。一日違いだったって、よく言ってた。一日違いって、それ自分で言うことかしらね」。それから妻は冷蔵庫を開けて、卵が残っているかどうかを確かめていた。卵はあと二個だった。










