手のほうが先に知っている
気がつくと冷蔵庫の前に立っている。手のほうが先に動いていて、頭はあとから追いかける。三十代の冬に昼ごはんを食べたかどうか思い出せなかった夜のこと。体と意識のあいだの、どこか静かなズレについてのエッセイ。
わからなくていいよ
配信サービスの楽曲をAIが自動判定するニュースを読んで、二十代の頃によく通っていた神保町のレコード屋の先輩のことを思い出した。指の腹で盤を弾いて「魂がない」と呟く人と、83パーセントの確率で怪しいと告げる画面と、どちらが正しいのか。そしてどちらが「わからなくていいよ」と言ってくれるのか。
エンジンをかけそこねた朝
朝刊の科学欄に若返りの薬の記事があった。飲みたいかと考えると、まず疲れる。二十代の浪費は返したいが、三十代のある朝の一時間は手放したくない。台所の光と、外でエンジンをかけそこねている音と、薬缶の水と。記憶の非対称を、米を研ぎながら考えた朝のこと。
サチコへ、悪かった
図書館で借りた雑誌に、街の脈拍を示すグラフが載っていた。二十代の頃、眠れない夜に歩いた商店街のことを思い出した。シャッターに書かれた「サチコへ、悪かった」という文字は、シャッターが下りているあいだだけ外に向かって読めた。深夜にしか見えないものについてのエッセイ。
肩のすぼまり方
AIに記憶をつけると相手に媚びるようになる、という十五行の記事が、朝のあいだずっと頭に引っかかっていた。覚えすぎた日記と、輪郭だけが残っている人のことを、台所でパンを焼きながら考えた。
誰も座っていない運転席
ロンドンで自動運転タクシーが走り始めるという記事を読んで、三十年前の深夜のタクシーを思い出した。羆の話をしゃべり続けた運転手と、一言も発しなかった運転手。どちらもよく覚えている、という話。
Sさんが休んだ日
朝刊の隅の小さな訃報から、三十年前に隣の席にいたSさんのことを思い出す。主役でも悪役でもない。ただそこに居た人が消えた時、何かがぎくしゃくした。その静かな朝の話。
浜辺で、のんびりする
ロケット会社の技術者が大金の使い道を聞かれ「浜辺でのんびりする」と答えた。その一行が妙に頭に残った。半日の空白が降ってきたら何をするか想像してみると、駅前の喫茶店と本屋と窓辺、それが僕の「のんびり」の輪郭らしい。ある葉書のことも思い出した。
サラサラと砂を流すような
新聞でAIと思考の変化を巡る記事を読み、四十年以上前の職場の上司Kさんのことを思い出した。電卓が職場に入ってきた頃、彼はそろばんを手放さなかった。だが半年も経たないうちに、こっそり電卓を打ち始めた。あの時の、少し丸まった背中のことをまだ覚えている。
右下がりの文字
アメリカの裁判所でAIが書いた訴状が問題になっているという記事を読んだ。三十年前、出さなかった手紙のことを思い出した。書いている途中で自分の文字が右下がりになっていくのを見て、万年筆を置いた。機械には、そういう瞬間がない。市役所で消しゴムを使い続けた初老の男性のことも、なぜか頭に残っている。




















