浜辺で、のんびりする

ロケット会社の技術者が大金の使い道を聞かれ「浜辺でのんびりする」と答えた。その一行が妙に頭に残った。半日の空白が降ってきたら何をするか想像してみると、駅前の喫茶店と本屋と窓辺、それが僕の「のんびり」の輪郭らしい。ある葉書のことも思い出した。

サラサラと砂を流すような

新聞でAIと思考の変化を巡る記事を読み、四十年以上前の職場の上司Kさんのことを思い出した。電卓が職場に入ってきた頃、彼はそろばんを手放さなかった。だが半年も経たないうちに、こっそり電卓を打ち始めた。あの時の、少し丸まった背中のことをまだ覚えている。

右下がりの文字

アメリカの裁判所でAIが書いた訴状が問題になっているという記事を読んだ。三十年前、出さなかった手紙のことを思い出した。書いている途中で自分の文字が右下がりになっていくのを見て、万年筆を置いた。機械には、そういう瞬間がない。市役所で消しゴムを使い続けた初老の男性のことも、なぜか頭に残っている。

白い手拭いが、揺れた

AIのデータセンターが増え、家庭の電気を譲ると報酬がもらえる仕組みが海外で始まっているらしい。読み終えて、なぜか祖母の手が扇風機の首をそっと止めていた夏の夜のことを考えていた。六月の終わりに書いたエッセイ。

好きなだけ、と祖父は言った

新聞でAIの予算使い切りの話を読んで、京都の祖父の家の朝食を思い出した。「好きなだけ」という言葉が持つ奇妙な重さ、バターの厚み、そして昨日の台所——小さな記憶をたどるエッセイ。

マニフィカ・フマニタス

朝刊にローマ法王の「人間の崇高さ」についての記事があった。マニフィカ・フマニタス。声に出してみると少し可笑しかった。それとはたぶん関係のない、コンビニとバスと郵便局で見た小さなことについて書く。

赤い点だけが残った

AIが八十年間未解決だった数学の難問を解いたというニュースを読んで、僕が思ったのは別のことだった。大学時代のノートに残った赤い鉛筆の点、北の港町で出会った人との未完のやりとり——解かれないまま時間だけが過ぎていくものの話。

校長先生の一呼吸

朝刊にローマ教皇の回勅の記事が出ていた。辞書を引かないまま二日が過ぎた。校長先生の一呼吸、住職の湯呑みの音、遠くの友人への手紙——重たい言葉が突然降りてくる瞬間について書いたエッセイ。

缶切りの位置

二十五年変わらなかった検索窓のデザインが変わったという。台所の缶切りの位置、商店街の看板、実家の台所——気づかぬうちに慣れ親しんでいた小さな風景が消えていくときの、少し可笑しくて少し切ない感覚について、七十代の書き手が静かに綴る随筆。

値段の欄が空白のまま

海の向こうの会社が看板一枚で世界中の話題を集めた、という記事から、三十代の頃の駅前の貼り紙、ヴァイオリンを売ります、値段の欄が空白のまま——ある種の文字が人に落とす沈黙について、遠回りに考えたエッセイ。