AIが薬を発見しても、特許の発明者は人間だけだった

AI創薬企業のInsilico Medicineは、肺線維症の治療薬候補をAIが「発見した」と対外的に発表してきた。しかしMIT Technology Reviewが2026年8月21日に報じたところによれば、実際の特許出願で発明者として名前が載っているのは人間5人だけで、AIの名前はどこにもないという。このギャップは、単なる言葉づかいの問題ではない。世界のどの国の特許制度も、いまだにAIを発明者と認めていないからだ。AIを研究や開発に使う企業が増えるほど、この空白は他人事ではなくなる。

「AIが発見した」という対外発表と、特許出願書類の発明者(人間5人)のギャップを示す図解
いまの特許制度では、AIがどれだけ実質的に貢献しても書類上は人間の名前しか置き場所がない。

「AIが発見した」薬なのに、特許の発明者は人間だけ

MIT Technology Reviewによれば、Insilico Medicineが開発した特発性肺線維症(IPF)の治療薬候補「rentosertib(開発コード名INS018_055)」は、同社が「AIが発見・設計した」と公表してきた薬だ。ターゲットとなるタンパク質を探すAI「PandaOmics」と、分子構造を設計するAI「Chemistry42」を組み合わせて開発され、プロジェクト開始からおよそ18カ月で前臨床候補にたどり着いた。Insilico自身の発表によれば、生成AIが設計した薬として世界で初めてフェーズ2臨床試験に入り、その後フェーズ3にも進んでいる。

ところが、MIT Technology Reviewの報道によれば、この薬の特許出願書類に記載された発明者は、CEOのアレックス・ジャボロンコフ氏を含む人間5人だけだという。AIの名前は出てこない。この点についてMIT Technology Reviewの取材で紹介されているのが、Alphabet傘下のAI創薬企業Isomorphic Labsでチーフ・ビジネス・オフィサー兼法務責任者を務めるサラ・コーマン氏の発言だ。同氏はMIT Technology Review主催のイベント「EmTech」で「人間の発明者がいなければ、発明も特許も存在しない」と述べ、「法律がAIに追いつくよう進化するのは間違いない」とも語ったという。

ここで起きているのは矛盾ではない。今の特許制度の下では、これが「唯一の書き方」なのだ。AIがどれだけ実質的に貢献していても、特許の書類上は人間の名前しか置き場所がない。製薬業界では全社員にAIを使わせているという会社もあるほどAIの活用がすでに日常業務に組み込まれている一方で、AI創薬にはまだ「9割の壁」があるという指摘もあり、AI創薬の実力そのものにもまだ限界がある。だからこそ、実際に成果が出た数少ない事例で発明者をどう扱うかは、業界全体が注視する先例になる。

AIを発明者と認めた国は、まだ世界のどこにもない

この「人間しか書けない」という状況は、Insilico Medicine 1社だけの事情ではない。背景にあるのが、AI開発者スティーブン・セイラー博士がAIシステム「DABUS」を発明者として世界各国に特許出願した一連の裁判、通称DABUS事件だ。セイラー博士側の代理人は、AIを発明者として認めさせる運動「Artificial Inventor Project」を主導するライアン・アボット教授だった。

米国・英国・欧州・オーストラリアの4法域すべてで「発明者は自然人」と判断されたDABUS事件の経過
AIを発明者と認めた国は、いまのところ世界のどこにも実質的に存在しない。

結果は、主要な法域すべてで同じだった。米国では連邦巡回控訴裁判所が2022年に「特許法上、発明者は自然人でなければならずAIシステムは発明者になれない」と判断し、連邦最高裁は2023年4月24日にセイラー博士側の上告を受理しなかった。これにより、この判断が事実上確定した。英国でも最高裁が2023年12月20日、全会一致で「発明者は自然人でなければならない」と判断した。欧州特許庁(EPO)の法務審判部も同様の判断を示し、オーストラリアでは連邦裁判所全法廷が2022年にAIを発明者と認めず、同年に上告の道も閉ざされてセイラー博士側の訴訟は終結した。

唯一の例外として報じられているのが南アフリカだ。同国の特許庁はDABUSを発明者とする出願を受理している。ただし南アフリカの特許制度は、出願書類が形式的に整っているかだけを見る「方式審査」で、新規性など中身を審査する制度ではない。つまり「AIを発明者として認める」という実体的な法的判断が下されたわけではなく、単に書類上の記載がそのまま通っただけだ。米国・英国・欧州・オーストラリアという主要な法域で見る限り、AIを発明者と認めた国は、いまのところ実質的に存在しない。

アメリカのルールは、2年足らずでひっくり返った

各国が「発明者は人間だけ」という結論で足並みをそろえる一方、その具体的な運用基準は安定していない。とりわけ米国特許商標庁(USPTO)のルールは、わずか2年足らずのあいだに公示と全面撤回を経験し、方向を変えている。

USPTOのAI支援発明ガイダンスが2024年2月から2025年11月にかけて基準を反転させた経緯
基準の中身以上に、ルールが作り直され続ける不安定さそのものがビジネスリスクになる。

2024年2月13日、当時のキャシー・ビダル長官のもとでUSPTOは「AI支援発明の発明者資格に関するガイダンス」を公示した。この基準では、AIを使った発明であっても、人間が「着想または具体化に重要な形で貢献し」「発明全体の規模に照らして質的に軽微でない貢献をした」ことを個別の請求項ごとに示せれば、人間を発明者として認めるとした。いわゆる「Pannu要因」と呼ばれる、複数人が共同発明者かどうかを判定する際の基準を転用したものだ。

ところが2025年11月26日、新長官ジョン・スクワイアーズ氏のもとでUSPTOはこのガイダンスを全面的に撤回し、新しい基準を公示した。新基準では、この「重要な貢献」を個別に問うPannu要因の枠組みをやめ、AIシステムを実験装置やソフトウェアと同じ「道具」として位置づけたうえで、「人間が発明の完全な着想を形成したかどうか」という、より単純な従来型の基準1本にまとめ直した。基準そのものは緩和される方向の変更とみられているが、重要なのは中身の細部ではない。政権や長官が代わるたびにルールが作り直されているという不安定さそのものが、AIを使って研究開発をする企業にとってのリスクになる。

なぜ他人事ではないのか——発明者を間違えると、特許そのものが無効になる

ここまでの話は、AI創薬企業だけの特殊な悩みに見えるかもしれない。しかし発明者の記載は、特許制度の根幹に関わる部分だ。米国特許法では、発明者の記載を誤り、かつ是正手続きの要件を満たせない場合、特許そのものが無効になりうると定められている(35 U.S.C. §256)。2026年に判断が示されたFortress Iron事件では、連邦巡回控訴裁判所が「法にしたがって是正できない誤った発明者記載の特許は無効である」と明確に示した。特許が無効になれば、その技術を独占する権利そのものが消える。

AIを研究開発の道具として日常的に使う企業は、製薬に限らない。ソフトウェア、素材、デザインなど、AIが具体的なアイデアの生成に関わる場面はすでに広がっている。「このアイデアはAIが出したものか、人間が出したものか」という切り分けを社内できちんと記録し、特許出願の際に正確に発明者を記載できる体制を持っているかどうかは、これから先、実務上の差になっていく。ルールが変わり続けている以上、「前に確認したから大丈夫」とは言えない領域でもある。AIが関わった業務の法的な責任の所在を、裁判所や規制当局が事後的に問い直す動きは特許以外の分野でもすでに起きている。AIが勝手に約束した割引は会社が払うべきだという判断や、裁判資料にAIの指示を紛れ込ませた原告に制裁が科された事例は、どちらも「AIが決めたこと・書いたこと」の責任を誰が負うのかという、同じ根の問題だ。

わかっていないこと

MIT Technology Reviewの記事本体は有料会員限定のため、この記事はその報道内容の紹介にもとづいている。Insilico Medicineの特許出願書類そのもの(発明者欄の氏名・人数)を、特許庁のデータベースで直接確認することはできていない。また、AI創薬の臨床開発件数や市場規模に関する具体的な数字は、独立した裏付けが取れなかったため本記事には含めていない。南アフリカでの特許付与についても、上述のとおり実体審査を経ていない点には注意が必要だ。

【編集メモ】

本記事は2026年8月24日時点で確認できた情報にもとづく。主な出典はMIT Technology Review、米国特許商標庁(USPTO)の官報公示(Federal Register)、英国最高裁・欧州特許庁の判断を報じた法律専門メディア(IPWatchdog、D Young & Co、Clifford Chance等)、Insilico Medicineの公式発表。ペイウォールの向こうにある一次記事本体は直接閲覧できず、報道内容の紹介である旨をその都度明記した。図解3枚は編集部(Claude)がmatplotlibで作成した。

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aigeek.biz 編集部。AIの最新動向を、一次ソースにあたって深掘りし、図解と動画でわかりやすくお届けします。記事の制作体制は「aigeek.bizについて」で開示しています。

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