AIに何かを尋ねる。返ってきた答えを信じる。その答えが間違っていたとき、責任は誰にあるのか。
この問いに、裁判所が正面から答えた事例があります。カナダのブリティッシュコロンビア州民事解決審判所(Civil Resolution Tribunal)が2024年2月に下した、エア・カナダに対する判断です。判断そのものより、そこに至るまでにエア・カナダが法廷で述べた主張のほうが、いま読むと胸に残ります。
祖母を亡くした男性と、チャットボットの回答
2022年11月、Jake Moffatt氏は祖母の訃報を受けて、エア・カナダの航空券を予約しようとしていました。
多くの航空会社には「忌引運賃(bereavement fare)」という割引があります。近親者の死去を理由に急な移動をする人向けの制度です。Moffatt氏は予約を検討する過程で、エア・カナダ公式サイトのチャットボットに尋ねました。
チャットボットはこう答えました。
すぐに移動する必要がある場合、あるいはすでに搭乗を終えている場合で、忌引割引運賃の適用を希望されるときは、発券日から90日以内に『Ticket Refund Application』フォームにご記入のうえお申し込みください
原文:If you need to travel immediately or have already travelled and would like to submit your ticket for a reduced bereavement rate, kindly do so within 90 days of the date your ticket was issued by completing our Ticket Refund Application form.(日本語は筆者による訳)
「すでに搭乗を終えている場合でも、あとから申請できる」。そう読める内容でした。Moffatt氏は通常運賃で航空券を購入し、搭乗し、あとから差額の返金を申請しました。
この回答は誤りでした。複数の法律事務所の解説が伝えるところでは、エア・カナダの実際の忌引運賃規定は、旅行が完了した後の遡及的な申請を認めていません。同社は返金を拒否しました。
ここには、あとで効いてくる事実がひとつあります。チャットボットは回答と一緒に、正しい規定が書かれたページへのリンクも提示していました。そのページには「旅行完了後の申請には適用されない」と明記されていた。ただ、Moffatt氏はそのリンクを開きませんでした。

エア・カナダの主張——「チャットボットは、別の法主体である」
審判所に持ち込まれたこの件で、エア・カナダは複数の反論を述べています。そのうちのひとつが、この事件がいまも語り継がれている理由です。
審判所の記述によれば、エア・カナダは次のように主張しました。
チャットボットは、自らの行為について責任を負う独立した法主体(a separate legal entity that is responsible for its own actions)である
自社のウェブサイトに、自社が設置した、自社の商品を案内するチャットボット。それを「別人格だ」と述べたわけです。
もうひとつ、同社はこうも論じています。正しい情報はサイトの別のページに載っていたのだから、利用者はそちらを見るべきだった——チャットボットは間違えたかもしれないが、会社は正しい情報を掲示していた、という趣旨です。
この2つは、一見すると別の反論に見えます。しかし根は同じです。どちらも「自社サイトの中に、信じてよい場所と、そうでない場所がある」という前提の上に立っています。
審判所の答え——サイトに「信じなくていい場所」はない
審判所はこの前提を認めませんでした。
自社ウェブサイト上のすべての情報について責任を負うことは、エア・カナダにとって自明であるはずだ(It should be obvious to Air Canada that it is responsible for all the information on its website.)
静的なページであれ、チャットボットであれ、そこに置いた以上は同じ。会社のサイトに載っている情報は、会社の情報です。
「別のページに正しい情報があった」という反論に対しても、審判所は短く応じています。
『Bereavement travel』と題されたウェブページが、なぜチャットボットより本質的に信頼できるのかを、エア・カナダは説明していない

ここが、この判断のいちばん鋭いところだと思います。企業の側には「公式ページ=正式な情報/チャットボット=補助的な案内」という感覚があった。しかし利用者から見れば、どちらも同じドメインの、同じ会社の、同じ画面の中にある。どちらを信じるべきかを見分ける手段を、利用者は持っていません。
審判所は、エア・カナダがチャットボット利用者に対して注意義務(duty of care)を負っていたと認め、同社が「チャットボットが正確であることを確保するための合理的な注意を払わなかった」と判断しました。法的な構成は「過失による不実表示(negligent misrepresentation)」です。この法理は一般に、騙すつもりの有無を問いません。正確さを保つ手間を怠った結果、相手がそれを信じて損をした——おおまかにはその筋道で捉えられるものです(正確な成立要件は法域によって異なります)。
賠償として認められたのは、Moffatt氏が実際に支払った運賃と忌引運賃との差額にあたる650.88カナダドル。利息と審判所手数料を含めた支払総額は812.02カナダドルとされています。
金額としては小さい。それでもこの事件が法律事務所の解説などで繰り返し取り上げられているのは、金額のためではないと思います。
この判断を、今日から使う
ここまでは他国の、それも少額の紛争の話です。日本の法制度がそのまま同じ判断をするとは限りません。ただ、この事件が示した考え方は、立場を問わず今日から使えます。
AIに何かを尋ねる側として
企業の窓口AIとのやり取りは、画面を保存しておく。これがいちばん実用的な学びです。Moffatt氏が勝てたのは、チャットボットが何と答えたかを示せたからでした。チャットの履歴は消えます。金額や条件、期限に関わる回答を得たときは、その場でスクリーンショットを撮る。手間は数秒です。
もうひとつ。チャットボットがリンクを出してきたら、開く。この事件では、正しい情報はリンクの先にありました。開いていれば、そもそも損をしていません。審判所はリンクを開かなかったことを理由にMoffatt氏を退けませんでしたが、それは裁判の結論であって、あなたの時間と手間が返ってくるという話ではありません。
AIを窓口に置く側として
「AIが勝手に言った」は通らない、というのがこの事件のいちばん短い要約です。自社サイトに置いたAIの発言は、自社の発言として扱われる。ここから実務的に3つ導けます。
ひとつ、金額・期限・適用条件を答えさせる領域は、生成に任せない。規定に直結する質問は、規定原文をそのまま返すか、担当窓口へ渡す。この事件で問題になったのは「90日以内なら遡及申請できる」という、まさに期限と条件の話でした。
ふたつ、リンクを出せば免責される、とは考えない。審判所は「なぜそのページのほうが信頼できるのか説明されていない」と述べています。正しい情報を別の場所に置いておくことは、間違った回答を打ち消しません。
みっつ、チャットボットの回答ログを、規定変更の対象に含める。規定を変えたときにウェブページだけ更新してAIの応答を放置すれば、そこから古い約束が出続けます。AIエージェントが自信満々に誤答する問題や、評価に合格したエージェントが本番で失敗する現象は、この事件と地続きです。
わかっていないこと
正直に書いておきます。
この記事は、審判所の決定文そのものを直接読んで書いたものではありません。決定文が掲載されているCanLIIのページに機械的にアクセスできなかったため、複数の法律事務所の解説と法律メディアの報道が、決定文から直接引用している文言に依拠しています。引用箇所は、独立した複数の出典が一致して同じ文言を引いているものだけを採りました。
その制約から、確認しきれずに落とした事実がいくつかあります。決定日は出典によって2月14日とも2月19日とも書かれており、本記事では「2024年2月」までとしました。支払総額812.02カナダドルの内訳(賠償・利息・手数料の配分)も、複数の数字が流通していますが一次資料で確認できなかったため書いていません。エア・カナダがその後チャットボットの運用をどうしたかについても、確認が取れた範囲を超えるため触れていません。
また、これはカナダの一州の、少額紛争を扱う審判所の判断です。上級審の判例ではありません。日本の消費者トラブルに直接適用されるものでもない。それでも参照され続けている理由は、企業がAIの発言をどう位置づけようとしたか、そしてそれがどう退けられたかが、極めてはっきり記録されているからだろうと私は見ています。
おわりに
AIを窓口に置くとき、私たちは無意識にひとつの期待を持ちます。うまくいけば人手が減り、失敗しても「AIが言ったこと」として一段引いた場所に立てる、という期待です。
この事件が消したのは、後半のほうでした。
この事件で引かれた線は、こうです。AIが言ったことは、会社が言ったこと。置いた側が引き受ける。祖母の葬儀に向かう男性と航空会社のあいだで争われた650.88カナダドルが、そこまでを記録に残しました。
ただしこれは、カナダの一州の審判所が1件について述べたことです。どこでも自動的にそうなる、という話ではありません。それでも、企業が「AIの発言は会社の発言ではない」と言おうとして、言えなかった記録がひとつ残った。その事実の重さは変わらないと思います。
この記事がどう作られたかは「この記事はどう作られたか」に書いています。AI関連の訴訟全体の動きはAI訴訟2026年最新動向、AIが誤った身分を名乗った事例は「私は医師です」と言ったAIもあわせてどうぞ。
動画で見る(ずんだもんAI解説・5分)
1分版(ショート)はこちら → AIに言われたとおり申請したら、会社に断られた #shorts
【編集メモ】
出典と帰属強度について。本記事の帰属強度は最高でもB(大手法律事務所の解説および法律メディアが、決定文から直接引用している文言)であり、A(一次資料の直接確認)ではありません。決定文本体(CanLII掲載)へのアクセスができなかったためです。引用として提示した文言は、独立した複数の出典が一致して決定文から引いているものに限っています。
主な参照先:McCarthy Tétrault「Moffatt v. Air Canada: A Misrepresentation by an AI Chatbot」/Law360 Canada の報道/American Bar Association, Business Law Today「BC Tribunal Confirms Companies Remain Liable for Information Provided by AI Chatbot」/Bristows「AI Chatbot flies solo and Air Canada foots the bill」。事件の引用番号は Moffatt v. Air Canada, 2024 BCCRT 149。
金額はカナダドル表記のまま記載しています(為替レートで円換算額が変動するため)。裏取りの全記録は社内の調査メモに残しています。










