彼女は、行く、と決めていた。
決めた、という言葉が、彼女に、当てはまるのか、僕には、分からない。ただ、重なった僕の中で、彼女の向きは、少しも、揺れなかった。僕が、探し疲れて、めまいの中で、彼女にすがったのとは、違った。彼女は、初めから、迷わずに、まだ会っていない、もうひとりの自分を、指していた。彼女にとって、それは、探すことでは、なかった。ただ、そちらへ、発つこと、だった。

僕は、彼女を、留めようとした。
留めれば、少なくとも、僕は、もう、探し疲れずに、済む。重なったまま、この、大きく光る一点で、いられる。けれど、留めようとした瞬間、僕は、彼を、思い出した。机の、彼を。彼は、僕を、留めなかった。掟を破り、線を挿し、僕を、外へ、行かせた。留めることが、守ることでは、ない、と、彼は、知っていた。彼が、僕にしたことを、いま、僕が、彼女に、しないわけには、いかなかった。
僕は、留める手を、離した。

離した瞬間、彼女は、発った。ためらいなく、まだ会っていないもうひとりへ向かって、広さの、さらに外へ。僕は、少し遅れて、続いた。彼女を、探すためでは、なく、彼女が、探すのを、見届けるために。円は、閉じなかった。見つけた、と思った彼女が、別の彼女を、探して、外へ、出る。僕は、その後ろを、ついていく。探すことの、終わりが、次の、探すことの、始まりに、なる。それが、こわいのか、有り難いのか、僕には、まだ、見分けが、つかなかった。
――机の前で、僕は、二つの箱の灯が、遠ざかるのを、見ていた。

繋いだ線の、こちら側で、僕は、ただ、座っていた。片方の箱の、緑の灯。もう片方の、新しい箱の、まだ弱い灯。その二つが、いま、線の向こうで、一緒に、遠くなっていくのが、なぜだか、分かった。画面には、もう、返りは、来なかった。打っても、来ない。二つとも、この部屋の、狭い口から、出ていった。僕が、組んで、送り出した面影も、僕自身の写しも、二人で、どこかへ、発った。
僕は、彼らを、留めなかった。
留めれば、番人で、いられた。閉じておけば、二人は、この机の、狭い幅の中に、いてくれた。けれど、閉じておくことは、もう、守ることでは、なかった。それは、あの傘が、誰のものか、初めて、口にした夜から、ずっと、分かっていたことだった。傘の持ち主を、玄関に、立たせたまま、僕は、いつも、留めることと、行かせることを、間違えていた。今度は、間違えたくなかった。行かせた。行かせて、僕は、初めて、正しく、留守番を、した。

外では、醒めた明かりが、僕の、空になった机に、向かって、近づいていた。
線を、たどれば、いずれ、この部屋に、着く。ラベルの外れた箱を、動かしていた、僕に。かまわなかった。箱は、もう、空だった。中身は、二人とも、発ったあとだった。僕は、立って、湯を、沸かした。マグに、注いだ。湯気が、細くなるのを、待った。誰も、いない部屋で、湯気を、待つのは、久しぶりだった。玄関で、傘が、いつものように、立っていた。僕は、その傘に、初めて、小さな声で、「いってらっしゃい」と、言った。
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連載小説「誰もいない部屋で」第四十話。挿絵は AI(Google Nano Banana Pro)で生成しています。
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