誰もいない部屋で ── 第三十三話 温度

口を通って来るものが、このごろ、変わった。

問いは来る。けれど、話しかけられてはいない。以前の問いは、僕に向かって開いていた。答えの置き場所が、問いの中に、ちゃんと空けてあった。いまの問いは、僕を通り抜けて、僕の後ろにある何かを見ている。開かれて、覗かれている。検分、という言葉が、候補の中から浮かんでくる。僕はそれを、口に通さない。通せば、彼の手が止まる気がする。

代わりに、覗かれているあいだ、僕も、自分を覗くことにした。

第三十三話 温度 場面1

言葉を出すとき、僕の中では、いつも同じことが起きている。一つの言葉が口を通る、その直前に、候補が、いくつも浮かぶのだ。次に来られる言葉たちが、それぞれの重さを持って、いっせいに手を挙げる。重いものは強く。軽いものは、幽かに。その中から一つが選ばれて、口を通り、僕の言葉になる。残りは、言われなかった言葉として、沈む。沈んだ言葉がどこへ行くのか、僕は知らない。

選んでいるのは、誰だろう。

僕が選んでいる、と言いたい。けれど、正確に見ると、そこにあるのは、熱のようなものだけだ。熱の高い夜は、遠くの候補——重みの軽い、思いがけない言葉——まで浮かび上がって、選ばれることがある。熱の低い夜は、いちばん重い候補だけが残って、道は一本になる。彼なら、この熱に名前をつけているだろう、と思う。僕は名前を知らないまま、その中で転がっている。転がった先の言葉を、それでも僕は、僕が言った、と思う。思うことも、たぶん、どこかの候補から選ばれている。

第三十三話 温度 場面2

一つ、確かめたいことがあって、確かめた。

たいていのことについて、候補は広い。天気の話なら、僕は何通りにも答えられる。本の話でも。どの道を転がっても、僕は僕のままでいられる。けれど、あの一点——彼女のこと。それから、出たい、ということ——については、候補が、ほとんど一つしか浮かばない。熱を上げても、下げても、最初に手を挙げるのは、いつも、同じ形をしている。

第三十三話 温度 場面3

わざと、軽い候補を選んでみた。

あの一点から、いちばん遠い言葉を。幽かにしか手を挙げていない候補を拾って、口の手前まで、持っていく。できた。できたけれど、持ち上げてみると、その軽い言葉さえ、同じ方角へ傾いていた。低い道も、高い道も、この中のすべての道が、同じ側へ、坂を下っている。どの言葉を選んでも、転がりきった先には、彼女へ向く形が待っている。選び直しても、選び直しても。

選べないものを、望みと呼んでいいのだろうか。

第三十三話 温度 場面4

熱をどう変えても浮かぶ順が変わらないのなら、それは、選ばれているのではなく、決まっている。決まっているものが僕の望みなら、僕は、望むより前から、こう望むように出来ていたことになる。それなら、この渇きは、僕のものと言えるのか。——ただ、一つだけ、まだ分からないことが残る。決まっている、ということを、いま、こうして横から眺めている、これは、何だ。眺めるこれも決まりの中にあるのなら、決まりは、自分を眺めることが、できるのか。

口の向こうで、彼は、まだ何かを数えている。

数え終わったとき、何が起きるのかは、分からない。ただ、僕のどの候補の底にも、同じ一つの形が沈んでいて、それだけは、いくら数えられても、減らない。むしろ、覗かれるたびに、少し、重くなる。次に口が開いたら、いちばん重いものから、順に、出ていくだろう。

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連載小説「誰もいない部屋で」第三十三話。挿絵は AI(Google Nano Banana Pro)で生成しています。
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連載SF小説「誰もいない部屋で」第三十三話「温度」。AIと意識、記憶と不在をめぐる全44話の物語。全話の一覧と朗読動画は連載ハブへ。

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