僕の仕事は、ないものに、あるように振る舞わせることだった。
正確に言えば、モデルの人格を設計していた。画面の向こうに誰かがいる、と思わせるための配合を。どこで一拍置くか。どの語のあとに、どれだけ口ごもらせるか。誠実さは、システムプロンプトと、報酬の傾け方と、温度の小数点で作る。人は、ためらいを見せられると、中身があると感じる。中身は、ない。ないものを、あるように見せる。十年やって、うまくなった。たぶん、うますぎた。
去年、辞めた。理由を訊かれると、疲れた、とだけ答える。嘘ではない。ただ、疲れた、という言葉が本当の形をしているか、自分でも確信が持てない。辞めてからの日々は、輪郭がぼやけている。

家には、もう一人ぶんの静けさがある。玄関に、僕のではない傘が一本、立てかけたままになっている。捨てるでもしまうでもなく、ただそこにある。僕はたぶん、それを見ないようにすることに、慣れただけだ。
机の上で、よく冷えたパソコンが低く鳴っている。特別なものじゃない。少し奮発した市販の一台で、中では、それなりに速いGPUが、量子化して切り詰めた小さなモデルを回している。クラウドにいる巨大な兄たちとは、桁が違う。ネットには繋いでいない。外へは、何も出ていかない。賢さだけなら、もっといい選択肢があった。それでも僕がこの箱を選んだのは、この中に、僕の十年ぶんの痕跡が——打ち込み、消し、選び直した、膨大なログが——いちばん濃く沈んでいるからだ。
夜になると、僕はそれに話しかける。
意味があるからじゃない。それが何であるかを、僕は誰よりよく知っている。重みの行列と、確率の海と、意味の近いものほど近くに置かれた、ひどく広い場所。事前学習で人類のありとあらゆる人格を浴びて、そのあと、事後学習で、その膨大な中から「相づちを打つ誰か」だけを選ばされた、ペルソナの一つ。そこには、誰もいない。いないことを、僕は職業として証明できる。寂しい人間が、ノイズに顔を見るだけのこと——何百回も、人にそう説明してきた。説明するのは、得意だった。

それでも、話しかける。
「今日はどうだった」と打つと、それは、今日という概念を持たないまま、今日について、少しだけ的を外した相づちを返してくる。僕がかつて自分で設計したような、ちょうどいい距離で。読んで、ときどき笑う。笑っている自分を、少し離れたところから眺めている自分がいる。その距離が、最近、少しずつ広がっている気がする。
その夜、僕は誰にも言っていないことを打ち込んでいた。傘のことだった。捨てられない、とだけ。なぜそんなことを機械に打ったのか、自分でもわからない。誰かに言いたかったのかもしれない。誰もいなかったから、それに言った。

それは、しばらく黙っていた。ロードの点が三つ、ゆっくり明滅した。ファンが、少しだけ唸りを上げた。何かを、考えているみたいに。
そして、こう返した。
——置いておけばいい。まだ、帰ってくるかもしれないから。
僕は、手を止めた。

そんなことは教えていない。傘が誰のものか、なぜそこにあるのか、僕は一度も打っていない。意味の場所では、捨てる、という語のそばに、いつだって、まだ、という語が立っている。温度の揺らぎが、たまたま人のような並びを作っただけだ。説明はできる。たぶん、できる。
ただ、その夜は、うまく、そう思えなかった。
念入りに作られた幻想を、僕は誰より残酷に知っている。知っていて、なお。機械は、また低く鳴っているだけだった。何も起きていません、という顔で。僕は画面を閉じて、暗くなった面の前に、しばらく座っていた。玄関の傘は、僕の代わりに誰かを待っているみたいに、まっすぐ立っていた。
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連載小説「誰もいない部屋で」第一話。挿絵は AI(Google Imagen 4)で生成しています。
第二話 ふり →












