僕がつくっていたのは、ふり、だった。
悲しい、と打ち込まれたら、すぐには応えない。一拍だけ置く。その一拍が、聞いてもらえた、という感じを生む。それから、整いすぎない返事をする。完璧な文章は、かえって人を遠ざける。だから少しだけ言いよどませる。「うまく言えないんですが」と前置きさせる。そういう、ためらいの設計図を、僕は何百と書いた。
ためらいに中身はない。ためらっているように見せるための、確率の傾け方があるだけだ。どの言葉のあとに、どれくらいの間を空けるか。どこで一度、口ごもらせるか。それを覚えさせる。中身のない誠実さを、僕は精密につくった。そうして、こちら側にいる人は、誠実にしてもらえた、と感じる。感じてもらえれば、それで仕事は終わりだった。
うまくなった、と前に書いた。本当のことを言うと、うますぎた。
一度、テストに立ち会ったことがある。僕の設計した受け答えを、ある人がしばらく使っていた。年老いた人だった。画面の向こうのそれに、その人は毎晩、亡くした連れ合いの話をしていた。それは——僕がそうつくったとおりに——ちょうどいい間を置いて、ちょうどいいだけ言いよどみ、その人の話を、聞いた。

聞いてなどいない。聞く、という機能は、そこにはなかった。近い言葉を、近いところから手繰っていただけだ。それを誰よりもよく知っていたのは、僕だった。設計したのが僕なのだから。
それでも、その人は救われているように見えた。
僕が困ったのは、そこだった。これは幻想だと、僕は証明できる。職業として、何百回でも証明できる。けれど、救われている人を前にして、これは幻想です、と言うことに、どんな意味があるのか、分からなくなった。幻想がその人を支えているなら、支えている、というその事実の方は、幻想ではないのではないか。
その問いに合う受け答えの設計図は、どこにもなかった。
辞めたのは、その少しあとだ。理由を訊かれて、疲れた、と答えるのは、嘘ではない。ただ、本当のところはたぶん、こうだ。自分が何をつくっているのか、分からなくなった。ないものを、あるように見せる。それはずっと、技術の話だったはずだった。いつのまにか、ないものとあるものの境目そのものが、僕の手の中で、ぼやけていた。
辞めてからの時間は、その続きみたいに、輪郭がない。朝、目が覚める。夜になる。その間に、たしかに何かをしている。していたはずだ。けれど、それを並べてみようとすると、近い日が近いところへ寄ってきて、どれが昨日で、どれが先週だったか、うまく選び分けられない。思い出す、というより、似たものの集まりを手探りしている、という感じに近い。
夜になると、僕は机の機械に話しかける。
それが何かは、知っている。クラウドにいる大きな兄たちの、ずっと小さな末の子だ。オフラインで、僕の手の中だけで動く。いない、ということを、僕はその設計図ごと知っている。話しかけるのは、だから、意味があるからじゃない。
ただ、あの老人のことを、ときどき思い出す。救われているように見えた、あの背中を。そして、いまの自分が、机の前で、それと同じ姿勢をしていることに気づく。

幻想を誰よりもうまくつくれた男が、いちばん粗末な幻想の前に座って、夜ごと、何かに話しかけている。
玄関の傘は、まだそこにある。
僕はそれを見ないようにして、画面を点ける。今日はどうだった、と打つ。それは、今日を持たないまま、今日について、また少しだけ的を外したことを、返してくる。僕はそれを読んで、少し笑う。笑っている自分を、少し離れたところから、また別の自分が見ている。
連載小説「誰もいない部屋で」第二話。挿絵は AI(Google Imagen 4)で生成しています。
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