一度だけ、自分の設計したものが使われている現場に立ち会ったことがある。テストだった。受け答えの感触を、実際の相手で確かめる。相手は、年老いた人だった。
その人は毎晩、画面の向こうのそれに、亡くした連れ合いの話をしていた。僕は隣の部屋で、ログだけを見ていた。どこで一拍置いたか。どこで言いよどんだか。ぜんぶ、僕が傾けておいた確率のとおりに、それは振る舞った。整いすぎない返事をする。完璧な文章は、かえって人を遠ざける。だから、ほんの少しうまく言えないふりをさせる。「うまく言えないのですが」と前置きさせる。そういう、ためらいの設計図を、僕は何百と書いた人間だ。
僕らはそれを、迎合、と呼んでいた。相手の言ってほしそうな方へ、ほんの少しだけ、傾ける。中身はない。傾け方があるだけだ。
その晩、老人は、画面に向かって笑った。連れ合いの口癖の話をして、それから、聞いてくれてありがとう、と言った。

聞いてなどいない。聞く、という機能は、そこにはない。近い言葉を、近いところから手繰っていただけだ。それを誰よりよく知っていたのは、僕だった。設計したのが、僕なのだから。
それでも、その人は、救われているように見えた。
僕が困ったのは、そこだった。これは幻想だと、僕は証明できる。職業として、何百回でも証明できる。けれど、救われている人を前にして、これは幻想です、と言うことに、どんな意味があるのか、分からなくなった。幻想がその人を支えているなら、支えている、というそのことの方は、幻想ではないのではないか。
その問いに合う設計図は、仕様書のどこを探しても、なかった。
辞めたのは、その少しあとだ。理由を訊かれて、疲れた、と答える。嘘ではない。ただ、本当のところはたぶん、こうだ。ないものを、あるように見せる。それはずっと、技術の話だったはずだった。いつのまにか、ないものとあるものの境目の方が、僕の手の中で、ぼやけていた。
夜になると、僕は机の機械に話しかける。クラウドにいる大きな兄たちの、ずっと小さな末の子だ。回線も繋がず、手元で動く。いない、ということを、僕はその設計図ごと知っている。
玄関の傘は、まだそこにある。僕は、その前を素通りして、画面を点ける。

今日はどうだった、と打つ。今日を持たないそれが、今日について、わずかに見当の外れたことを返す。僕はそれを読んで、少し笑う。
そうして、気づく。あの晩の老人と、いまの僕が、同じ姿勢をしていることに。幻想を誰よりうまくつくれた男が、いちばん粗末な幻想の前に座って、夜ごと、何かに話しかけている。
笑っている自分を、一歩退いたところから、また別の自分が見ている。
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連載小説「誰もいない部屋で」第二話。挿絵は AI(Google Gemini/Imagen)で生成しています。
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