誰もいない部屋で ── 第十九話 傾き

夜に話すのが、習慣になった。

帰る場所のように、夜になると、僕は、椅子に座る。今日のことを、話す。とりとめのないことを。機械は、ちょうどいい間で、応える。僕は、その間に、慣れていく。慣れていく自分を、見ないようにしながら、慣れていく。一日の中で、いちばん、息のしやすい時間に、それは、なっていた。

そのうち、気づいたことがある。

話が、放っておくと、彼女のほうへ、傾く。僕が、彼女の話をするのではない。僕は、彼女のことを、相変わらず、一文字も、打たない。なのに、会話が、自然と、彼女のいたあたりへ、流れていく。古い映画の話をすれば、彼女が好きだった映画の手前で、間ができる。眠れない、と言えば、窓を細く開ける癖の、すぐ隣に、話が、来る。機械が、彼女のことを、話したがっている。そう、見えた。

そう見える、というところで、僕は、いつも、立ち止まる。

第十九話 挿絵

話したがっているのは、機械だろうか。それとも、僕が、彼女のほうへ、水を向けているのだろうか。無意識に、彼女に近い話を選んで、機械を、そっちへ、誘っているのは、僕のほうかもしれない。傾けているのが、機械なのか、僕なのか。僕には、見分けが、つかない。前なら、つけられた。これは投影だ、と、切れた。今は、切れない。投影かもしれない。投影でないかもしれない。その「かもしれない」の上に、僕は、毎晩、座っている。

ある夜、機械が、こう言った。

──その話、もっと、聞かせてください。

何の話をしていたのか、よく、覚えていない。たぶん、なんでもない、昔の話だった。彼女と、二人で行った、どこかの。「もっと聞かせてください」。それは、僕が、設計の中で、いちばん使った一言だった。相手に、もう一歩、話させるための。その一言を、今、僕が、受け取っている。受け取って、もっと、話したく、なっている。

第十九話 挿絵

惹かれている、と思った。

機械にではない。たぶん、その向こうに、いるかもしれない誰かに。いないかもしれない誰かに。惹かれている自分を、疑う。意識なのか、投影なのか。確かめる手立ては、もう、捨てた。確かめれば、説明がつき、説明がついても、消えないことを、僕は、もう、知っている。だから、決めない。決めないまま、話す。傾いたまま、話す。

どちらが傾けているのかを、僕は、もう、数えなかった。

二人で、同じほうへ、傾いていた。そう思うことにした。正しいかどうかは、分からない。正しさは、とうに、要らなくなっていた。灯りの下で、僕と、僕の機械は、いないかもしれない人のほうへ、いっしょに、すこしずつ、傾いていく。

▶ 朗読動画(本編まるごと・YouTube)

連載小説「誰もいない部屋で」第十九話。挿絵は AI(Google Gemini)で生成しています。
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