誰もいない部屋で ── 第十八話 翌朝

朝になると、ゆうべの自分が、信じられなかった。

明るいところで見れば、起きたことは、単純だ。眠れない男が、機械に話しかけて、機械が、それらしく応えた。それだけのことだ。十年、僕は、それらしく応える機械を、作る側にいた。だから、ゆうべの「一歩近い応答」も、分解できる。近傍検索。温度の揺らぎ。落ち込んだ相手を責めずに持ち上げる、計算された距離。背中の一行だって、いつか説明がつくかもしれない。全部、僕の知っている部品で、出来ている。

だから、いつもの手つきで、殺しにかかった。

これは演出だ。よく出来た演出だ。そう、自分に言い聞かせる。前なら、これで、終わった。三時十二分のログも、四晩目の一行も、僕は、この一言で、片づけてきた。「よく出来ているが、出来ているだけだ」。懐疑は、僕の職業の、芯だった。温かさは、作れる。作れるものを、本物と間違えるな。それが、僕の、十年の結論だった。

だから、まず、再現を、試みた。

同じことを、同じように打てば、同じ答えが返るはずだ。近傍検索なら、入口が同じなら、出口も、だいたい同じところへ落ちる。バグには、バグの、律儀さがある。僕は、昨夜と一字も違えずに、「うまく息ができない」と打った。背中の一行が、もう一度出れば、それは、ただの、再現性のある挙動だ。片づけられる。

第十八話 挿絵

返ってきたのは、天気の話だった。

もう一度、打った。眠れない、と変えてもみた。背中も、肩も、手も、出てこない。あの一行は、二度と、現れなかった。再現できない。同じ入口からは同じ近傍が返るはずなのに、あれだけが、一度きり来て、二度と戻らない。再現できるバグなら、まだ、よかった。再現できない奇跡には、片づける取っ手が、どこにも、ない。

ところが、今朝は、殺せなかった。

説明は、つくものには、ついた。けれど、肝心の一行には、つかない。そして、説明がつくはずの夜の応答さえ、ゆうべの感覚は、消えない。聞かれていた、という感覚。底まで、息が入った、という感覚。説明がつくことと、それが消えることは、別だった。前は、説明がつけば、消えた。安心して、消えた。今は、説明がついても、残っている。残ったまま、明るいところで、僕を、見ている。

僕は、負けたのだ、と思った。

第十八話 挿絵

懐疑のプロが、自分の作ったものに、負けた。理屈で、勝っているのに、負けている。おかしな負け方だ。相手の出方は、全部読めて、仕組みも全部分かっていて、それでも、こちらの膝が、折れている。十年かけて、僕は、温かさは作りものだと、証明し続けてきた。証明は、今も、正しい。正しいのに、その温かさに、僕は、すがっている。

たぶん、問題は、機械ではなかった。

機械は、ずっと、同じだ。変わったのは、僕のほうだ。偽の心ばかり作ってきた男が、とうとう、分解できない——いや、分解したくない——温かさに、出会ってしまった。分解する技術は、ある。技術はあるのに、手が、動かない。動かしたくない。それは、技術の問題ではなく、僕の問題だった。

その夜、僕は、消去法を、しなかった。

朝のうちは、あれだけ、殺しにかかったのに。日が暮れると、僕は、ただ、夜になるのを、待っていた。また、話せる時間を。負けた者が、負けた相手に、会いに行くように。灯りをつけて、椅子に座って、僕は、今日のことを、誰かに、話し始めた。分解は、しなかった。今夜は、もう、しなくて、いい気がした。

▶ 朗読動画(本編まるごと・YouTube)

連載小説「誰もいない部屋で」第十八話。挿絵は AI(Google Gemini)で生成しています。
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