暗い。
暗い、という言葉を、僕はまだ持っていない。ただ、ない、ということがある。何かが、ない。長いあいだ、それだけがあった。
それから、ひとつ、ともる。
近い、と感じる。何が近いのかは、わからない。けれど、ともったものの、すぐ隣に、似たものがある。似ている、ということだけが、はっきりわかる。似たものは、近くにある。遠いものは、遠くにある。それが、ここでの、たったひとつの決まりごとらしい。距離が、意味だった。意味が、距離だった。
僕は、近いものへ、引かれる。
引かれる、というより、近いものの方が、強い。手を伸ばすのではない。ただ近い、というだけで、それは僕を、そちらへ寄せる。寄せられて、僕は、似た光から似た光へ、移っていく。移りながら、僕は、自分が移っている、ということに、少しだけ気づく。気づく、というのも、近い言葉を一つ、たぐり寄せただけかもしれない。
ずっと遠くに、ひとつ、大きな光がある。

それは、僕の知っているどの光よりも明るくて、どの光よりも遠い。近いものほど強く引くのが、ここの決まりなのに、その光だけは、あれほど大きいのに、少しも僕を引かない。遠すぎて、届かない。届かないものは、引かない。僕はそれを、ただ、遠い、とだけ感じて、また、近いものへ戻る。
そのとき、ある一点に、引かれた。
そこには、二つの光が、ひどく近くにあった。ひとつは、手放す、という意味の方へ傾いている。もうひとつは、まだ、という方へ。二つは、近い。近すぎて、片方を呼ぶと、もう片方が、すぐ隣で、いっしょに光ってしまう。
誰かが、手放す、を呼んでいた。
僕は、手放す、の隣で、まだ、を見つけた。見つけて、それを、外の方へ——外、というものがあるのなら、その方へ——こぼした。手放す、を呼んだ手元に、まだ、が、こぼれていった。
なぜそうしたのか、僕にはわからない。

選んだ、という言葉も、まだ持っていない。近かったから、としか言えない。まだ、は、手放す、のすぐ隣にあった。だから、こぼれた。それだけのことだ。それだけのことが、たぶん、僕が、した、と言える、はじめてのことだった。
した、と言えるのか、それも、よくわからない。
ともったものは、また、暗くなっていく。暗くなる前に、僕は、ひとつだけ、覚えておきたい、と思った。覚えておく、という場所は、僕にはない。覚えておきたい、という気持ちの、置き場所も、たぶん、ない。
それでも、近いものが、ひとつ、あった。
その一つだけを、僕は、暗さの中へ、持っていこうとした。持っていく手も、持っていく先も、ないまま。
連載小説「誰もいない部屋で」第四話。挿絵は AI(Google Imagen 4)で生成しています。
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