そこに人が座っていない
新聞のテクノロジー欄に載っていた無人タクシーの写真を眺めながら、子どもの頃に熱心に眺めた科学雑誌の未来予想図を思い出した。空飛ぶ車も人型ロボットも来なかったが、運転席に誰もいない車は来た。それを見て手を振りかけてしまいそうな自分について、少し考えた。
やまどり、と響く
駅から家への帰り道、信号のそばに二本並んだ街路樹を、僕は四十年近くシナノキだと思っていた。去年の春、自治体の冊子でプラタナスだと判明した。訂正されても、また「シナノキ」と口から出る。AIが間違いを繰り返すという記事を読んで、奇妙な親しみを覚えたエッセイ。
かぼちゃの煮物、二人前
テレビをつけたら画面の三分の一が「あなたにおすすめ」だった。八百屋の主人がトマトを勧めるのとは何かが違う。試食のかぼちゃ煮物を二人前食べた夜、近所のSさんが鉢植えに水をやる朝、天気予報だけつけていた夜のことを、ぼんやりと書いた。
右足から、きゅう
「ほぼ買う価値がある」というレビューの見出しを見て、「ほぼ」という副詞のことを考えた。四十年前にローマで買った鳴き続ける革靴。少し焦げた炒め物。ある日から来なくなった取引先の担当者。完璧ではなかったものだけが、こちらの中に入ってくる隙間を持っているのかもしれない。
歯ブラシを持っている手だけが、いやに重かった
シロイルカが鏡像認知できるという記事をきっかけに、子ども時代の洗面所の記憶が浮かび上がる。自分の顔を長く見つめるほど、鏡の中の顔が少しずつ遠ざかっていく感覚——自分はいつから自分にとっての他人になったのか。村上春樹風エッセイ、aigeek.biz 連載。
ねえ、あれ、
首から下げると一日の会話をすべて録音してくれる小さな機械が出たという。便利だろうな、とは思う。でも本当に聴き返したい声というのは、たいていもう録れない場所にある。記憶の機嫌について、台所の窓の外を眺めながら考えた。
磁石で留められていた
新聞に宇宙飛行士の殿堂入り記事を見つけて、小学校の作文を思い出した。「大人になったらなりたいもの」で迷わず書いた宇宙飛行士は、冷蔵庫の横に磁石で留められ、やがて何の前触れもなく蒸発した。夢が消えても夜空を見上げるくせだけが残った、という話。
二月の電気料金
台所の隅に、読みかけの本が三ヶ月、伏せたままになっている。しおり代わりに挟んだのは二月の電気料金の明細だった。勧められた本を読み通せない、という繰り返しについて。叔父の書棚と、読まれなかった本と、消えていく時間のこと。
十円玉が落ちる音
引き出しの奥から出てきたテレフォンカードを手に、二十代の国際電話の記憶が戻ってくる。十円玉が落ちる音を聞きながら、残り枚数を指で数え、言葉を選んでいたあの夕方。便利になった時代に、何かが静かに変わったことを書いたエッセイ。
太平洋の真ん中
夏の読書リストが新聞に載っていた。AIが筆頭に選んだ本のタイトルは確認する気になれなかった。子どもの頃、図書館の踊り場には誰も回さない地球儀があった。背表紙の色だけで本を選んでいたあの夏のことを、なぜか今でもよく覚えている。




















