砂利の食い込み
ラスベガスでドーピングを公認した「強化版オリンピック」が開かれたという新聞記事を読んだ日のこと。補助輪を外した九歳の空き地と、眼鏡をかけた中学の朝と。自分のどこまでが自分の力なのか、僕にはいまだに判然としない。村上春樹風エッセイ。
消去法でそうなる
コックピットボイスレコーダーの声をAIで復元するという話を読んだ。そこから、亡くなった祖父の声をもう覚えていないことに気づく。文字の形だけ残って音が抜けた記憶、四十年かけて自分で編集してきた「声らしきもの」、そして台所の引き出しから出てきたテレフォンカード三枚。村上春樹風エッセイ。
蝶番のねじ
AIが特定の単語で止まるという話を聞いた。それで思い出したのは、小学校の担任が「この教室では使わないこと」と言った、あの日のことだ。禁じられた途端に重みを持ち始める言葉の不思議を、六十年以上経った今も手放せずにいる。
クロかシロか
新聞の片隅に、七百光年先の惑星の天気が観測できるという記事が載っていた。五月の台所でそれを読みながら、三年間隣の席にいたT君のことを思い出した。遠いものと近いものについての、静かなエッセイ。
カチャリという音
AIが好きな歌手の声でカバー曲を作る時代になったと新聞で読んだ。中学生の頃、ラジカセに向かって好きな曲を歌い、まったく似ていない自分の声を何度も聞き直していた。似ていないことの、長い話。
注ぎ口のへこみ
二十数年使い続けた薬缶に、今朝はじめて気づいた小さなへこみ。変わらないものほど見えなくなる——理髪店の店主の船の話を、僕はろくに聞かなかった。聞き直す機会はもう来ない。台所の光の中で静かに転がる、見落としの記録。
薄い緑色のタイル
グーグルの検索窓が二十五年ぶりに変わるという記事を読んで、ふと思い出したことがある。四十年通っていた八百屋の床のタイルの色を、閉店してから初めて知ったこと。柱の傷、駅の時計、消えた八百屋——変わらないものは、消えた後にしか見えてこない。AIと日常をめぐるエッセイ。
ダイヤルを、すこし外れたところ
AIがその人のためだけにポッドキャストを作る時代に、二十歳の下宿で聴いたダイヤル式ラジオのことを思い出す。知らない人の声が、なぜか自分宛てに届いた夜の話。パーソナライズされた便利さと、不器用な錯覚の温度の違いについて、エッセイスト・ハルキが書く。
洗車、できなかった
ビル・ゲイツがマイクロソフト株を手放したという小さな記事を読んだ朝、僕は押し入れの古いパソコン三台に指で埃の線を引いた。捨てられない側の人間が、捨て続ける男のことを考えている。解決しない午後の話。
クロワッサンの匂い
五月の午後、新聞の小さな記事から、学生時代に学校を辞めてパン屋になった男のことを思い出した。「それしか選択肢がなかった」という言葉の前に何があったのか。選ぶことと、選ばされることの境界線について、台所のテーブルのそばで静かに考えた一日のエッセイ。




















