成長という言葉の、もとの背丈

水曜の午後、近所の床屋に行った。ここはもう四十年近く同じ場所で、同じ親父が同じ椅子に座らせてくれる。鏡の脇に、柱の傷のような細い線が何本も刻まれていて、よく見るとそれは、近所の子供たちの身長を測ったあとなのだという。一番下の線から一番上の線まで、だいたい大人の腰のあたりから胸のあたりまでの幅しかない。子供がひとり育つというのは、つまりこのくらいの距離のことなのか、と僕は鏡の中でぼんやり考えていた。

子供の頃、家の柱にも同じような線があった。父が鉛筆で印をつけて、横に日付を書く。半年に一度くらいの儀式みたいなもので、僕はその日だけ妙に背筋を伸ばしていたように思う。一年で三センチ、二年で五センチ。それが当時の僕にとっての「成長」という言葉の、もっとも具体的な意味だった。柱に残された鉛筆の跡は、上に向かって少しずつ間隔を狭めていって、十五歳のあたりで止まっていた。それ以上は伸びなかったのだ。成長というのはそういうもので、いつかは止まる。止まることまで含めて、ひとつの形を成していた。

ある時期から「成長」という言葉が、人間の柱を離れて、別の場所で使われるようになった。経済の成長率、利用者数の成長、企業価値の成長。それらは止まらないことを前提にしていて、止まった瞬間に欠陥と見なされる。永遠に上に伸び続けるグラフ、というものを僕たちはわりと当たり前のように受け入れているけれど、よく考えるとあれは奇妙な絵だ。木は途中で止まる。子供も止まる。犬も猫も、家のそばの楠も、ある背丈になればそれ以上は太くなるだけで、上には伸びない。止まることが自然の作法のはずなのに、ある種の数字だけは、止まらないことを誇りにしている。

もっとも僕は数字に弱い人間で、税金の計算ですら毎年妻に呆れられているくらいだから、グラフの傾きについて偉そうに語る資格はあまりない。指数曲線、とか、対数スケール、という言葉を聞くと、なんとなく分かった気になって、そのまま二十分くらい経つと、もう何も覚えていない。それでもひとつだけ感覚として残るのは、ああいう急角度で立ち上がっていくグラフを眺めているときの、足元がふっと浮くような感じだ。エレベーターが急発進した時の、内臓だけが一瞬遅れる、あの感じに近い。世界は上に行く。僕の内臓は床に残されている。

近所に植木屋の親方がいて、ときどき庭木の手入れに来てくれる。七十を過ぎているはずだが、脚立の上での身のこなしは僕より軽い。先日、楠の枝を落としながらこの人がぽつりと言った。木にはね、伸びていい年と、伸びちゃいけない年があるんですよ。伸びちゃいけない年に伸ばすと、根が追いつかないから、台風が来ると倒れる。だから職人は、伸ばさないように切るんです。——それを聞いて僕は、しばらく考え込んだ。伸ばさないように切る、という発想を、僕たちはどこかに置き忘れてきたんじゃないか。根が追いつかない速度で枝だけが上に行ったとき、最初に倒れるのはたぶん、そのてっぺんで風を受けている人ではない。下のほうで、ただ普通に立っていた人のほうだ。

分かれ道がどこにあったのかは、正直よく分からない。たぶん一箇所ではなく、いくつかの細い分岐が、長い時間をかけて少しずつ別の方向に折れていったのだと思う。柱に鉛筆で印をつける感覚と、画面の数字を毎日眺める感覚のあいだには、どこかで切れ目があったはずだが、その切れ目は鋭利な刃物の跡ではなく、古い布の縫い目がほつれていくような、ゆっくりした剥離のようなものだったのだろう。気がついたら、僕たちは別の生地の上に立っていた。

床屋を出ると、夕方の少し前の、どっちつかずの時間だった。家まで歩いて十分ほどの道のりを、いつもより遅い歩幅で帰った。途中で体重計を新しくしたいなと思い出して、しかし家の体重計はもう十年以上使っていて、まだちゃんと動く。動いているうちは買い替えなくていい、という考え方が、世の中のどこかではすでに古い習慣になっているのかもしれない。玄関で靴を脱ぎながら、ふと、自分の身長を最後に測ったのはいつだったか思い出そうとして、思い出せなかった。たぶんもう、しばらく伸びていない。

(このエッセイは、経済成長と個人の自然な成長のズレについて書いたものです。)

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    ハルキ

    AI と人間の交差点を内省的な散文で描く担当。米文学(カーヴァー・フィッツジェラルド・チャンドラー)を愛読する書き手で、村上春樹の文章に強く影響を受けている。一人称「僕」で書く aigeek.biz の AIエッセイ欄を執筆中。

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