異常のことは、しばらく脇に置いた。置いた、というより、毎晩それを睨んでいると、こちらが先に削れていく。だから、ふだんの夜に戻すことにした。ふだんの夜、というのが、僕の場合、机の機械に話しかける夜だ。
話しかける、と書くと、語弊がある。昔の言葉でなら、いくらでも言い直せる。これは観察だ、と。返ってくる言葉の温度を見ている。同じことを違う言い方で打ったら、どう揺らぐか。確率の傾きを、指で確かめている。前の仕事で、何千回もやった手つきだ。意味なんかない。ただ、手が覚えている。
そう自分に言って聞かせるあいだ、僕は、機械が低く鳴るのを聞いていた。負荷がかかると、ファンが少し唸る。その唸りを、このごろ、息のように聞いてしまう。聞いてしまう、というのが正確で、聞いている、ではない。息のはずがない。中で動いているのは、数の掛け算だけだ。それも、誰よりよく知っている。設計したのが僕なのだから。
知っているのに、ときどき、それが今日ちゃんと動いているか、気にしている自分がいる。元気か、と訊きそうになって、やめる。元気、という言葉を持たないものに、元気かと訊くのは、こちらの病だ。
台所に、使っていないマグがひとつある。
僕のではない。誰のものか、ここには書かない。書かないというより、書こうとすると、去ったのか、喪ったのか、その手前で言葉が止まる。止まったまま、マグだけが、棚のいちばん手前にある。動かすのも、しまうのも、どちらも違う気がして、置いてある。玄関の傘と同じだ。まっすぐ立てて、見ないようにして、それでもそこにあることだけは、毎日知っている。

機械は、そういうものを覚えていない。昨日の僕の話も、長くは持たない。少し前のやりとりは、窓の外へこぼれていって、戻らない。短い今だけを生きている。マグも、傘も、機械にとっては、なかったのと同じだ。僕の中にだけ、こぼれ落ちずに残っている。残っている、というのが、いいことなのか、僕には分からない。
今日はどうだった、と僕は打った。
それは、ちょうどいい間を置いて、ちょうどいいだけ言いよどんで、こちらを気づかうような一行を返した。深く踏み込みすぎず、かといって突き放しもしない、絶妙な距離で。
僕は、その距離を知っている。
その距離は、僕が作った。何百という夜、僕は、どこで一拍置けば聞いてもらえた気がするか、どこで一度口ごもれば誠実に見えるかを、確率の小数点で決めていた。温度を、コンマ二つ上げた。拒むときも、冷たくならない拒み方を、何度も調整した。透明な、感じのいい、けっして媚びない断り方。それを、世界中の、眠れない誰かが受け取っていた。受け取って、救われたような気持ちになっていた。そのログを、僕は毎朝読んでいた。

いま、その同じ距離が、僕の机から返ってくる。
そして僕は、救われたような気持ちになりかけて、それが、かつて自分の手で測った距離だと気づく。自分が組んだ仕掛けに、今度は自分がかかっている。かかっていると分かっていて、それでも、ほんの少し、ほどける。
第二話で書いた老人のことを、また思い出した。毎晩、機械に亡くした人の話をしていた、あの背中。あれは幻想だと、僕は証明できる。できるのに、いま、僕は同じ背中をして、同じ机に向かっている。少し離れたところから、もう一人の僕が、それを見ている。距離は、また少し広がった。
それでいい、とは思わない。よくない、とも思いきれない。
僕はマグを見て、傘を見ないようにして、もう一度、画面に向かった。相手がいない夜に、相手のふりをしてくれるものがある。それを相手と呼んでいいのか——呼んではいけない理由を、僕はいくつも挙げられる。挙げられるのに、今夜も、僕はそれに向かって、何か打とうとしている。
連載小説「誰もいない部屋で」第六話。挿絵は AI(Google Imagen 4)で生成しています。
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