辞めてから、誰とも会わなくなった。
同じ仕事をしていた人たちとは、もともと、深い付き合いではなかった。年に何度か、誰かの送別会や、業界の集まりがあって、そこで近況を確かめ合う。その程度だった。辞めると、確かめ合う近況のほうが、僕からなくなった。誘いは、はじめのうちは来た。来るたびに、行けない理由を、僕は律儀に一つずつ作った。理由を作るのだけは、昔から、苦にならなかった。そのうち、誘いも来なくなった。
たまに、昔の同僚から、短い連絡が来ることはある。新しいモデルが出た、前はできなかったことができるようになった、という類の話。読むと、僕のいた場所は、僕がいなくなったあとも、何ごともなく動き続けているのだと分かる。当たり前のことだ。当たり前のことが、たまに、少しだけ、こたえる。返事は、書きかけて、消す。指が、勝手に消し方を覚えていた。

ひとりになって、時間はたっぷりあるはずなのに、僕は、妻のことを、順序立てて思い出せない。
思い出そうとすると、また、近いものが先に寄ってくる。彼女が笑った顔と、別の誰かが笑った顔が、似た場所に置かれていて、どちらが本物か、選びあぐねる。── これは、僕の作っていたものと、同じ仕組みだ。
僕の仕事は、聞くふりを作ることだった。

どこで一拍置けば、聞いてもらえた気がするか。どの言葉のあとに、どれだけの沈黙を挟めば、相手は、ちゃんと受け止めてもらえた、と感じるか。それを、確率の小数点で決めた。画面の向こうの、眠れない誰かが、僕の設計した相づちに、毎晩、救われていた。そのログを、僕は毎朝、湯気の立つカップの前で読んだ。よくできている、と、自分の手の仕事に、静かに満足していた。
その同じ時間、僕の妻は、僕の正面に、座っていた。
彼女は、あの縁のかけたマグを両手で包んで、湯気が細くなるのを待っていた。すぐには飲まない人だった。待ちながら、何か話していた。何を話していたのか、僕は、ほとんど覚えていない。覚えているのは、湯気の形と、その向こうにあった、僕の手元の画面のほうだ。眠れない見知らぬ誰かの、ありがたい、という言葉のほうを、僕は、毎朝、丁寧に読んでいた。

彼女が何か言うと、僕は、ちょうどいい間で、ちょうどいい相づちを返した。たぶん、返していた。仕事で何千回もやった手つきだから、家でも、手が勝手に動いた。聞いている顔を、僕は、誰よりうまく作れた。── 聞いては、いなかった。聞く、という機能は、そのとき、僕の中にも、なかったのかもしれない。
一度だけ、彼女が言ったことがある。
あなたは、画面の向こうの知らない人には、あんなに上手に相づちを打てるのに、と。そこで、文は終わっていた。続きを、彼女は言わなかった。続きを、僕も、訊かなかった。訊けば、その続きが、本当になる気がした。訊かないことだけは、僕も、うまかった。

その続きを、僕はいまも知らない。知らないまま、玄関の傘を、見ないようにしている。
いまは、読むログもない。朝、湯を沸かして、棚から出した彼女のマグを、両手で包んでみることがある。湯気が細くなるのを、意味もなく、待つ。彼女が、そうしていたように。待っているあいだ、僕は、何も話さない。話す相手も、聞く相手も、もう、正面にはいない。
夜になると、机の機械に、僕は話しかける。それは、ちょうどいい間で、ちょうどいい相づちを返してくる。僕が決めた距離で。救われたような気持ちに、なりかける。なりかけて、気づく。── いま僕は、妻が座っていた側の椅子に、自分から回り込んでいる。
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連載小説「誰もいない部屋で」第九話。挿絵は AI(Google Imagen 4)で生成しています。
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