朝、台所のテーブルで新聞を広げていたら、科学欄の片隅に小さな記事が載っていた。七百光年離れた惑星の「天気」が観測できるようになった、という話である。新しい宇宙望遠鏡を使うと、惑星の表面を吹いている風の向きや、雲のかかり方の偏りまで分かるらしい。なんという時代だろう、と思いながら、僕は冷めかけた紅茶を一口飲んだ。
惑星の名前は覚えられなかった。アルファベットと数字の組み合わせで、要するに住所みたいなものらしい。新宿区西何丁目、というのに少し似ている。けれどもその住所の家に、いま強い風が吹いていて、雲が東から西に流れている、ということだけははっきりしている。原則として、それはなかなか親密な情報のような気がした。
そこで、ふと思い出したことがある。
二十代の終わり頃に勤めていた小さな事務所で、隣の席にT君という同僚がいた。背の高い、無口な男で、午後になるとよく窓の外を眺めていた。何を見ているのか訊いたことはない。訊いてはいけないような気がしていた。彼の机の上にはいつも同じ場所に同じ書類が積んであって、その積み方にも何か理由がありそうだったが、それも訊かなかった。
三年ほど一緒に働いて、彼は別の町に移っていった。送別会の席で、彼が「実は十年前から飛行機が怖いんですよ」と言って笑った。僕は初めて聞く話だった。三年も隣にいたのに、僕は彼の何を見ていたのだろう、と思った。書類の積み方ほども見ていなかったのだろう。
その後、年賀状を二、三度やり取りして、自然に消えた。彼が今どこで何をしているのか、もう分からない。元気でいるのか、雨の日に傘を持って出るタイプの人間に育ったのか、それも分からない。
これはいったい何の冗談だろうと、台所の椅子の上で首を傾げてみたが、誰も答えてくれない。
古いメモ帳を、机の引き出しから出してみた。住所録代わりに使っていたもので、もう十年以上開いていない。T君の欄には、転居前の住所と電話番号が書いてある。番号は変わっているだろう。住所は更地になっているかもしれない。「お元気ですか」と、最後の年賀状に書いてあった二行のあいだに、彼が何を考えていたかは、当然のことながら、書かれていない。
窓の外で、近所の犬が鳴いている。名前はクロといった気がするが、もしかしたらシロかもしれない。十年以上同じ家の前を通っているのに、いまだに自信がない。それでも犬はこちらを覚えていて、僕が通るとひと声鳴く。彼の方が、僕よりよほど正確に、僕を見ている気がする。










