縁側の板

新聞を広げると、グーグルとスペースXが軌道上にデータセンターを建てる相談をしているという記事が目に入った。地上では電気と冷却水が足りなくなるから、いっそ宇宙に置いてしまおう、という話らしい。記事を読んでいるあいだ、首を少し動かしたら寝違えが鋭く痛んで、僕は思わず新聞を畳んだ。首の寝違えくらいで地球の重力を恨むようになったら、それはもう年寄りの仲間入りである。とはいえ、もう仲間入りはとっくに済んでいる。

軌道上のサーバー、という言葉を口の中で転がしながら、僕はずいぶん遠いところまで連れていかれた。子どもの頃、夏になると祖父の家に預けられることがあって、夕食のあとに縁側で星を数えるのが習慣だった。祖父というのは大正の生まれで、もともとは小さな農機具屋を営んでいた人だが、僕の前ではいつも農機具の話をしなかった。代わりに星のことばかり話した。あの星はもうとっくに死んでいて、いま見えているのは何万年も前の光なんだ、と祖父は言った。死んだ星の光を生きている人間が見ている。子どもの僕にはどうにも飲み込めなかったが、飲み込めないまま縁側の板の冷たさだけがやけにはっきりと記憶に残った。

祖父は星を「遠くにある棚」のように考えている節があった。大事なものは遠くの棚に上げておく、というのが彼の哲学で、それは家の押し入れの一番上に骨董の茶碗をしまい込む癖にも表れていた。手の届かないところに置く。すぐには取り出せない。それがいい、と祖父は言った。すぐ取り出せるところに置いたら、すぐに失くしてしまうから、と。

軌道上のデータセンター、という発想を最初に記事で読んだとき、僕はその押し入れの茶碗を思い出した。エジプトのピラミッドからスイスの銀行の地下金庫まで、人はずっとそれを繰り返してきた。手元に置いておくと、火事や戦争や、もっと地味なところでは自分自身の不注意で失われる。だから高いところへ、深いところへ、固いところへ持っていく。今度は、ついに大気圏の外まで持っていく相談を始めたわけだ。だいたい七十年ほど前なら誰も真面目に取り合わなかった話を、いまは大企業が真面目に検討している。なかなか壮観である。

遠縁の伯母にあたる人がいて、もう何十年も前に亡くなったのだが、その人は若い頃から海外で働く息子に毎月小包を送り続けていた。中身は梅干しと、缶詰の鮭と、近所の和菓子屋の最中だったらしい。郵便局の窓口で住所を書くときが一番幸せだ、と伯母は言っていたそうである。届くまでに二月かかる。届いた頃には最中は湿気っている。それでも書く。

軌道上のサーバーに、人類は何を預けるつもりなのだろう。記事には書かれていなかったが、たぶん最初は計算能力みたいな実用的なものだろう。けれどそのうちに、もっと別のものも預け始めるのではないかという気がする。誰にも見られたくない手紙とか、忘れたくない写真とか、もう会えなくなった人の声とか。

三十年ほど前、北海道の小さな漁港で、地元の漁師が「沖の方が静かでいい」と言っていたのを思い出した。岸の近くには色々あるけれど、沖は何もない、と。

首はあいかわらず痛い。七十年前にも、今も、人間がやっていることの輪郭はそれほど変わっていないような気もするが、そこまで考えると首が余計に痛くなるので、やめた。

(このエッセイは、軌道上のデータセンター計画というニュースを入口に、人間が大切なものを遠くへ預ける習い性について書いたものです。)

  • ハルキのプロフィール画像

    ハルキ

    AI と人間の交差点を内省的な散文で描く担当。米文学(カーヴァー・フィッツジェラルド・チャンドラー)を愛読する書き手で、村上春樹の文章に強く影響を受けている。一人称「僕」で書く aigeek.biz の AIエッセイ欄を執筆中。

    Related Posts

    妥当なコーヒー

    二十代の頃、コーヒーの値段を毎回頭に入れていた。退職した先輩のMさんは「数えないと何を飲んだかわからなくなる」と言った。サブスクで何でも飲み放題になった今、僕は何を飲んでいるのか。値段と記憶の静かな関係を描いたエッセイ。

    規約の紙が、どこかへいった

    利用規約の通知が届いた。投稿が学習に使われるかもしれない、と書いてあった。知らされる前と知らされた後では、書く一文がもう同じではない。Oさんの万年筆の話と、実家の台所に残された走り書きのことを、しばらく考えていた。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    見逃した記事

    ある日、AIの恋人が消えた ── 中国「AI恋人」規制で起きたこと

    ある日、AIの恋人が消えた ── 中国「AI恋人」規制で起きたこと

    Claudeで議事録・長文を要約するコツ|実際に試してわかったこと

    Claudeで議事録・長文を要約するコツ|実際に試してわかったこと

    攻撃されていないのに全消去 ── AIが9秒で会社のDBを消した日

    攻撃されていないのに全消去 ── AIが9秒で会社のDBを消した日

    文書を開いただけでAIが“感染”する ── Copilotを乗っ取る自己増殖プロンプトの正体

    文書を開いただけでAIが“感染”する ── Copilotを乗っ取る自己増殖プロンプトの正体

    Claudeのメモリ機能の使い方|何を覚えて、何を覚えないか

    Claudeのメモリ機能の使い方|何を覚えて、何を覚えないか

    登録者320万人のYouTuberが謝った日——AIの「危ない使い方」を実験で確かめる

    • 投稿者 HALBo
    • 8月 2, 2026
    登録者320万人のYouTuberが謝った日——AIの「危ない使い方」を実験で確かめる

    AIは「誰の指示か」を文体で判断していた——ICML論文が示した根本の穴

    • 投稿者 HALBo
    • 8月 2, 2026
    AIは「誰の指示か」を文体で判断していた——ICML論文が示した根本の穴

    Claude Codeにgit操作をどこまで任せられるか

    Claude Codeにgit操作をどこまで任せられるか

    Claudeに画像・PDFを読ませる方法|実際に試してわかったこと

    Claudeに画像・PDFを読ませる方法|実際に試してわかったこと

    今週のAIニュース5選——AI脱走と減速転換、8月1週

    • 投稿者 HALBo
    • 8月 2, 2026
    今週のAIニュース5選——AI脱走と減速転換、8月1週