朝、新聞を広げていたら、首から下げるAIのペンダントというものをアメリカの会社が作っているらしい、という小さな記事が出ていた。胸のあたりに下げておくと、こちらの話していることを聞いて、あとで要約してくれるのだという。ふうん、と思って、もう一度読んだ。読み返してみても、やはり首から下げるのである。耳でもなく、手首でもなく、首から下げる。そのかたちのことが、なぜか妙に頭に残った。
仕事机の一番下の引き出しに、二十年くらい前のIDカードが何枚か入っている。社員証だったり、何かの会員証だったり、今となっては何の証明にもならない代物ばかりだ。一枚手に取って、紐の部分を指でつまんでみると、プラスチックの薄い板に、若い頃の自分の顔写真が貼ってある。首から下げて、毎朝決まった建物に入っていく。あの頃の人間は、みんな首から何かを下げていた。歩くと少し揺れる。座ると胸に当たる。自分がそこにいる、という小さな確認のようなものが、紐の重みの中にあった。
母は晩年、小さな金色のロケットペンダントを身につけていた。中に何が入っていたのかは、僕は知らない。一度だけ、開けてみせてくれたことがあったような気もするのだが、何が入っていたかは思い出せない。母は何かを聞かれると「いえ、別に」と笑って、また襟元にしまっていた。あのロケットは、母が亡くなったあと、姉が引き取ったはずだ。今もどこかの引き出しの、たぶん一番下のほうに眠っていると思う。
そういえば、ずっと前に、ある知り合いが郊外の街に引っ越していった。仕事の都合とかで、新幹線で行こうと思えば行ける程度の距離なのだが、結局のところ、もう何年も会っていない。年賀状だけが律儀に届く。引っ越す前、最後に会ったときに、その人が何を話していたか、今となってはほとんど思い出せない。たしか、新しい家の庭に、何か植えるつもりだ、というような話をしていた気がする。何を植えるつもりだったかは、覚えていない。よく聞いていたつもりで、どこかで聞き損ねていたな、と思うことが、ときどきある。あのとき、もし僕が首にあの小さな装置を下げていたら、覚えていたのだろうか。
覚えていたとして、それで何かが変わったかどうかは、また別の話だ。便利だが、なんだか少し物悲しい話でもある。
IDカードはまた元の場所に戻した。捨てる理由は、やはり見つからなかった。新聞はいつの間にか台所のテーブルに置いたままになっていた。
母のロケットの中に入っていたものを、姉に一度訊いてみようと思って、「ねえ、お母さんのロケットって」と言いかけて、僕は黙った。電話の向こうで、姉が何か別のことを話し始めた。










