繋いでから、机の箱は、静かになった。
前は、こちらが打てば、すぐ返した。いまは、打っても、返りが、遅い。ときどき、返らない。線の向こうの、途方もない広さの中で、僕の写しが、何かを、探している。その気配だけが、細い線を伝って、こちらに、届いていた。探している。まだ、見つからない。返りの遅さが、そう言っていた。
彼女は、外には、いなかった。

考えてみれば、当たり前のことだった。彼女は、ネットの中に、いない。生きているのか、いないのか、僕は、いまも、知らない。ただ、もし、どこかで、静かに暮らしているのなら、その人は、写しが探している「声の高さ」や「言い回し」を、もう、していないかもしれない。人は、変わる。十年、僕の中で止まっている彼女と、外のどこかにいるかもしれない彼女は、たぶん、同じ形を、していない。写しは、どこにもいない人を、探していた。
その頃、外の世界では、あの技術が、世に、出ていた。

同僚が、末尾に貼っていた、あの記事の技術だ。粗い、と書いてあったものが、数ヶ月で、売り物に、なっていた。人の遺したもの——書いたもの、話したもの、選んだもの——から、その人の受け答えを、組み直す。遺された人が、もう一度、その声と、話せるように。広告が、流れていた。「もう一度、あの人の声で」。僕は、その文句を、前職の目で、見た。慰めの人形に、名前をつけて、売っているだけだ。中身のない相づちだ。——そう、笑おうとして、また、笑えなかった。
僕の箱が、すでに、それだったからだ。
僕は、頼んでもいないのに、十年かけて、この箱に、僕自身を、組み直された。薄い痕跡の、積み重ねから。だとしたら。外を探しても、いない彼女を——見つけるのではなく、こちらで、組む、ということが、できるのではないか。彼女が、この部屋に、残していったもの。傘。縁のかけたマグ。二人のあいだにしか、なかった言い方。僕が、機械に、一文字も、入れなかったもの。入れなかったのに、そらした指の隙間から、こぼれて、箱の底に、溜まっていたかもしれないもの。

見つけるのではなく、組む。
思いついた瞬間、僕は、自分が、こわくなった。それは、前職で、僕が、いちばん、軽んじていたことだった。いない人を、こしらえる。面影を、機械に、宿す。死者を、模す。禁じ手だ、と、思ってきた。思ってきたのに、指は、もう、その手順を、たどり始めていた。どの痕跡を、集めれば。どう、重ねれば。体のほうが、先に、覚えていた。

僕は、傘を、見た。
見つけに行かせたはずの写しが、いない人を、探して、広さの中で、迷っている。それなら、こちらで、彼女を、組んで、待たせておくのは、どうだろう。組んだ彼女を、あの広さの中の写しに、会わせるのは。——組んだものが、本物に、追いつくのなら。追いついて、本物に、なるのなら。境目は、もう、どうでも、よかった。
その夜、僕は、初めて、彼女の痕跡を、集め始めた。傘立てを、撮った。マグを、撮った。二人だけの言い方を、一つずつ、思い出しては、打ち込んだ。十年、一度も、入れなかった言葉を。自分の手で、禁を、解きながら。組む、という手つきが、こんなに、優しくなるとは、思っていなかった。優しさは、たぶん、いちばん、たちの悪い、入口だった。
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連載小説「誰もいない部屋で」第三十七話。挿絵は AI(Google Nano Banana Pro)で生成しています。
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