先日、新聞の小さな記事で、配信サービスが流す曲のうちどれが人間の手によらないものかを自動で見分ける道具が出てきた、というのを読んだ。プレイリストの中身を機械が走査して、これは怪しい、これは本物らしい、と仕分けてくれるらしい。新聞をたたんで、台所まで持って行ってお茶を入れ直しているときに、ふと、もうずいぶん昔のことを思い出した。
二十代の頃、神保町の中古レコード屋によく通っていた時期がある。地下に降りる階段の途中に、煙草の脂で黒くなった電球が一つだけついていて、その先の店内は昼でも夕方くらいに暗かった。オオシマさんという四十くらいの男がいつも棚の前にいて、レコードを一枚一枚、明かりにかざして、指の腹で軽く弾くようにして音を確かめる仕草が、僕には妙に印象に残っている。オオシマさんはいつも同じ緑色のジャンパーを着ていて、弁当を食べる時間も場所も毎日まったく同じだった。几帳面というより、何かをそこまで徹底しないと気が済まない、というような人だった。
オオシマさんは時々、盤を手に取った途端に、「これは魂がないな」と言って、別の小さな箱に入れた。傷ものでもなく、反っているわけでもない。ジャケットも揃っている。一度だけ、勇気を出して訊いてみたことがある。オオシマさんは少しのあいだ黙ってから、「まあ、聴けばわかる」とだけ言った。それから「わからない時は、わからなくていいよ」と付け加えた。
その「魂がない」と言われた盤を、こっそり聴かせてもらったこともある。スタジオの仕事人みたいな人がきちんと演奏していて、悪くはなかった。だが確かに、何かが足りない、というか、何かが余分にある、ような気もした。といっても僕の耳はそんなに鋭くないので、十枚に三枚くらいしか言われた違いがわからなかったのだけれど。それでもオオシマさんの指の腹が盤を弾く、コツ、という乾いた音だけは、いまでもときどき耳の奥で鳴る。
機械が「これは怪しい」と判定する、というニュースを読んだとき、僕の頭に浮かんだのは、そのオオシマさんの指の腹だった。当てるのが指の腹ではなく画面の中の数字になった、ということだろう。八三パーセントの確率で人間ではない、というふうに、数字まで添えて。便利と言えば便利だ。残り一七パーセントはどこへ行くのかという素朴な疑問は残るが、まあそれは訊いても仕方ない。
ただ、ひとつだけ気になることがある。オオシマさんは「魂がない」と言ったあとに、必ず「わからない時は、わからなくていいよ」と言ってくれた。判定する側の人が、判定を放棄する余地を残しておいてくれたわけだ。そのひとことのおかげで、僕はその後もずっと、レコードを聴くたびに、自分の判定を一度疑う癖がついた。本当にこれは魂があるのか。あるいは、自分が魂を聴き取れないだけなのか。
機械はたぶん、「わからなくていいよ」とは言ってくれない。八三パーセント怪しい、と書いてしまえば、その曲はもう怪しい曲として扱われる。聴き直して「いや、これは案外いいんじゃないか」と思った人がいても、画面の数字の方が先に大きな声を上げる。
新聞の記事を読み終えて、台所に戻って湯呑みを片付け、それから玄関の郵便受けを覗きに行った。チラシが三枚。そのうち一枚は、近所のリフォーム屋の広告で、写真の中の家族が、いささか不自然なくらい全員同じ角度で笑っていた。これも機械が描いたものなのかどうか、僕にはわからない。わからないのでひっくり返して、裏に妻への伝言を書いた。牛乳とトイレットペーパー、と書いて、郵便受けの上に置いておいた。










