朝刊の隅に、小さな訃報が載っていた。イギリスの俳優で、名前を見ても最初は誰だかわからなかった。記事を読んでいくうちに、ああ、あの人か、と思い当たった。九十年代の終わりから二〇〇〇年代の頭にかけて、深夜のテレビで放映していた海外ドラマに出ていた人だ。主役ではない。主役の女の子を見守る図書館司書のような、教師のような、そういう役だった。
名前を改めて声に出してみたが、やはりピンとこない。顔は思い出せる。痩せた、少し疲れたような目をした、でもどこかに茶目っ気を残している中年の男。あの俳優が亡くなったのか、と新聞をたたんだ。たたんでから、もう一度開いて、訃報の段をぼんやり眺めた。
主役の隣に、空気のように立っている人がいる。その人がいなくなった瞬間、画面全体が少し薄くなる。亡くなったのはそういう人だった。
新聞を脇に置いて、コーヒーをいれた。湯を注ぎながら、Sさんのことを思い出した。三十年以上前に勤めていた職場で、隣の席に座っていた人だ。年は僕より五つほど上で、課の中では中堅というか、もう中堅を過ぎたあたりだった。主任にもならず、課長にもならず、ただ毎日同じ時間に来て、同じ時間に帰っていく。仕事は丁寧だが、特に目立つことはしない。会議でも発言は少ない。それでも、Sさんが休んだ日というのは、課全体が妙にぎくしゃくした。電話が鳴っても誰が取るかで一瞬迷い、コピー機の紙が切れていても誰も気づかず、お茶を入れる順番が乱れた。そういう小さなずれが一日中続いて、夕方になるとみんなが少し疲れていた。
Sさんが翌日に出社すると、何も変わっていないように見えるのに、課はすっと元に戻った。本人は何もしていない。いつも通り席に座って、いつも通り書類を見ている。当時の僕は若くて、そういうことの意味がよくわかっていなかった。Sさんは地味な人だな、というくらいにしか思っていなかった。隣の席なのに、特に親しく話したわけでもない。昼飯を一緒に食べたのも、数えるほどしかない。
Sさんが定年で職場を去る時、送別会のあとで、僕は彼に何か気の利いたことを言いたかったのだが、何も言えなかった。「お世話になりました」と頭を下げただけだった。Sさんは「いやいや、こちらこそ」と笑って、そのまま帰っていった。年賀状を何年か交換したが、それも途切れた。今どうしているのか、まだ生きているのかどうかも、僕は知らない。
テレビ台の下の引き出しを開けてみた。古いビデオテープが何本か入っている。あの俳優が出ていたドラマの録画も、たしかどこかにあったはずだ。妻が一時期、深夜にこっそり観ていた。僕は隣で本を読みながら、画面に流れる英語と日本語の字幕を、半分聞き、半分聞き流していた。テープは見つからなかった。あったとしても、もう再生する機械がない。
「ねえ、あの人さ」と、僕は台所に向かって言いかけて、それから黙った。妻は振り返らなかった。水道の音だけがしばらく続いた。それから妻が何かを言いかけて、やめた。










