新聞の文化欄に、中国でAIが大量生産している短編ドラマの記事が出ていた。一話が一分か二分で、暗い寝室、怯えた若い女、力ずくの男、捨てられた婚約者、隠された出生の秘密。そういうものが秒単位で繰り出されてくるらしい。記事には実例として粗筋の冒頭が引用されていて、僕はそれを朝食のあとに、二度読み返した。一度目は呆れて、二度目は——正直に言えば——その先がどうなるのか知りたかったからだ。記事には続きは載っていなかった。当たり前の話だ。
妻は最近、夕食のあとになると居間で韓国のドラマを観ている。話の筋を訊ねたことはない。訊ねなくても、彼女の背中の角度でだいたい察しがつく。前のめりになっている夜は、たぶん誰かが誰かを裏切ったか、長らく行方知れずだった人物が雨の中を歩いてきたかしている。僕は台所で皿を伏せながら、その背中を眺めるともなく眺めている。馬鹿にしているわけではない。むしろ、ちょっとした羨望に近いものを感じる。
子どもの頃のことを、ふと思い出した。昭和の三十年代だから、もう七十年近く前になる。我が家にはじめてやってきた白黒テレビは、桐の箱みたいに重々しい家具だった。父が誇らしげに据え付けたあれで、夕方になると連続ドラマがやっていた。題名はもう覚えていない。だいたい貧しい娘が出てきて、意地の悪い継母がいて、行方不明だった兄が突然帰ってきて、最後の三分でみんなが泣くやつである。話の筋はほとんど同じで、出てくる役者も似たような顔ばかりだった。それでも僕は、宿題そっちのけで毎晩観ていた。母が「またあれを観ているのか」と呆れた顔をしたのを覚えている。たしかに呆れられて当然の出来だった。脚本はおそらく一週間で書かれていたし、セットの障子は明らかに紙ではなく布だった。それでも、続きが気になって仕方がなかった。継母がどうなるのか、兄が誰の子だったのか、娘が誰と所帯を持つのか。馬鹿げた話だと十二歳の自分でも分かっていたのに、それでも観た。
心臓のあたりに、何か古い装置のようなものがある。それが反応するかしないかの問題で、その装置は意外と趣味が悪い。中国のAIドラマが秒単位でそこを叩いてくるという話を読みながら、僕は子どもの頃の自分のことを少し恥ずかしく思い、それから、それを恥じる必要が本当にあるのだろうかとも考えた。安っぽいものに釘付けになっていたあの夜の記憶は、いま思い返しても妙に温かい。粗末な障子の向こうで、誰かが誰かを抱きしめていた。
新聞の記事を二度読み返したのが、その何よりの証拠だ。馬鹿にしながら覗き込んでいる時点で、すでに半分は捕まっている。引っ張られる側のこちらは、七十年経ってもほとんど同じ場所に立っている。
夕方になって、妻が居間のテレビをつけた。今日のは何の話なのか、僕は訊かない。それより、さっきから玄関の傘立てのところで何かが倒れているような気がして、確認に行きそびれている。たぶん傘だろう。










