第三章「AI の歴史を紐解く」の四本目。前回、最初の冬の雪の下で、春の種が静かに芽を伸ばしていた、という話をしました。「すべてを賢くする」夢を手放し、「狭い専門領域だけ」に絞った研究者たちがいた、と。今日は、その種が花開く ── AI に二度目の春が訪れた1980年代の話です。ただ、これもまた、苦い春でした。
「知識は力」── 夢を手放したら、役に立った
春をもたらした考え方は、ひどく逆説的なものでした。「賢い機械を作るのをやめよう」というのです。
1960年代の AI は、「あらゆる問題を解ける万能の知能」を夢見て、そして転びました。1980年代の研究者は、その野心をいったん捨てた。代わりに掲げたのが「知識は力(knowledge is power)」── 狭い専門分野に絞り、その道の専門家の知識を「もし〜なら、こうする」というルールの束に翻訳して、機械に詰め込む。これが「エキスパートシステム」です。
仕組みはシンプルで、二つの部品でできています。専門家から聞き出したルールを溜めた「知識ベース」と、そのルールを次々あてはめて結論を出す「推論エンジン」。前回登場した、感染症を診断する MYCIN や化合物を特定する DENDRAL の発想を、そのまま商売に持ち込んだものです。万能をあきらめ、狭く深くに徹したとき ── 皮肉にも、AI は初めて「お金を稼げる道具」になりました。

Image: matplotlib (Hiragino Sans, warm 連作トーン)
XCON ── 年25億円を浮かせた、伝説の成功例
その象徴が、XCON(別名 R1)です。1978年にカーネギーメロン大学のジョン・マクダーモットが、コンピュータ会社 DEC のために作りました。
当時のコンピュータは、いまのように完成品で売られていません。顧客の注文に応じて、ケーブルや部品を一つずつ正しく組み合わせる必要があり、営業担当者の知識不足で「部品が足りない」「ケーブルが合わない」という誤配が頻発していました。XCON は、この構成作業を自動化した。約2,500のルールを使い、1986年までに8万件の注文を、95〜98%の精度でさばいた。DEC はこれで年に2,500万ドル ── 当時のレートで数十億円 ── を節約できた、とされます。
「専門家の知恵を、安く・速く・正確に再現できる」。この実証が、世界中の企業を熱狂させました。1985年までに、企業が AI に投じた額は10億ドルを超える。LISP マシンという AI 専用コンピュータを作る Symbolics や LISP Machines、エキスパートシステム構築ツールを売る Teknowledge や IntelliCorp ── 巨大な産業のエコシステムが、一気に立ち上がりました。
国家までもが、走り出した
この熱は、企業の枠を超えて、国家間の競争にまで燃え広がります。火をつけたのは、日本でした。
1981年、日本の通商産業省が「第五世代コンピュータ計画」を発表します。論理プログラミング(Prolog)と超並列処理で、人間のように推論し対話する機械を作る ── 予算は8.5億ドル規模。これが西側に衝撃を与えました。アメリカは、これを1957年の「スプートニク・ショック」になぞらえたほどです。日本に AI の覇権を奪われる、という恐怖。
対抗して、アメリカは DARPA 主導の「戦略的コンピューティング計画(SCI)」に10億ドルを投じ、イギリスは「Alvey 計画」に3.5億ポンドを投じた。AI は、国の威信を賭けた「デジタル版の宇宙開発競争」になったのです。前回、ライトヒル報告書で AI 研究を枯らされたイギリスが、ここで皮肉にも復活した、というのも面白いところです。

Image: Google Gemini Nano Banana Pro (painterly, 本文連動生成、warm amber=春)
絶頂のさなか、当の本人たちが「冬が来る」と言った
ここに、ぞくりとする事実があります。ブームが最高潮に向かう1984年、AI 研究の重鎮ミンスキーとシャンクが、研究者の大会で、こう警告したのです。「いまの熱狂は制御不能だ。必ず失望が続く」。「AI の冬」という言葉が公の場で使われたのは、このときが初めてだった、とされます。
つまり、冬の到来は、外から不意に襲ってきたのではない。春のただ中で、最もよく分かっている人たちが、もう予言していた。前回の冬と、まったく同じ構図です ── 約束が、能力の先を走っていた。違うのは、今回は警報がはっきり鳴っていたのに、誰も止まれなかったことです。
そして、二度目の冬が来た
崩壊は、1987年に始まりました。引き金は、意外なところからでした。
AI 専用の高価な LISP マシンが、Apple や Sun の普通のワークステーションに、性能で追い抜かれたのです。安くて速い汎用機の前に、わざわざ専用機を買う理由が消えた。5億ドル規模の LISP マシン産業が、わずか1年で蒸発しました。日本の第五世代計画も、専用の並列マシンを作っているうちに、普通のCPUの性能向上に追い越されてしまい、1992年、「咆哮ではなく、すすり泣きとともに」幕を閉じます。アメリカの SCI も、AI を「巧妙なプログラミングにすぎない」と一蹴され、資金を「深く、残酷に」削られた。
成功例が、そのまま失敗例になった
でも、いちばん象徴的だったのは、ハードの崩壊ではありません。あの伝説の成功例、XCON の末路です。
1990年代初頭、年に数十億円を浮かせた XCON は、「維持できないシステム」になっていました。ルールが増えるほど、ルール同士が予期せぬ形でぶつかり合い、誰も全体を把握できなくなる。自分で学習する能力はないから、業務が変わるたびに人間が手作業で書き換えるしかない。そして、ルールにない「想定外」が来ると、平然とグロテスクな間違いを犯す ── これを「脆さ(brittleness)」と呼びます。あらゆる例外を事前にルール化することは、原理的に不可能だったのです。
つまり、春をもたらした XCON が、そのまま冬を象徴する存在になった。同じ一つのシステムの中に、成功の理由と失敗の理由が同居していた。第二章で書いた言葉を、もう一度使いたくなります ── 「使えた」ことと、「使い続けられた」ことは、別だった。
二度、同じ轍を踏んで
こうして AI は、生まれて30年で、二度目の冬を迎えました。一度目は研究室で、二度目は産業界で。スケールは大きくなったのに、転んだ理由は、不思議なくらい同じでした。狭く絞れば役に立つ ── その正しい発見を、「だから何でもできる」という過剰な約束にふくらませてしまった。そして約束が能力を追い越したとき、また冬が来た。
面白いのは、この二度目の冬の地下でも、また次の種が育っていたことです。ニューラルネットの研究は、わずかな研究者の手で続いていた。やがてそれが、計算力とデータを得て、三度目の春 ── いまの私たちがいる、深層学習の時代 ── を呼びます。次回は、その最後の春が、どんなふうにやってきたのかを見たいと思います。
同じ轍を、人は二度踏みました。では、三度目は ── どうなのでしょうか。いまの AI ブームを眺めながら、その問いを、少し胸に置いておきたいのです。
続きを読む(第三章 第5話)
二度目の冬の地下水脈、ついに地表へ。2012/9/30、ImageNet で AlexNet が 2 位を 10 ポイント差で圧倒 ── 二度葬られたニューラルネットが、データと計算力と「諦めなかった研究者」の三条件が揃った瞬間に主役へ。そして「三度目の春は、過去二度と何が違うのか」という宿題が読者に渡される、第三章の論の着地点。










