第二章も、ここまで八本。AI がどう動き、どう学び、どこへ向かうのかを見てきました。番外編として、原さんと「ところで、AI を作っている会社の人たちは、自分たちの AI を実際どれくらい使っているんだろうね」という話になった。今日はそれを調べます。
英語に「dogfooding(ドッグフーディング)」という言葉があります。「自分の会社のドッグフードを、自分で食べる」── つまり、自社製品を社内で実際に使うこと。料理人が自分の店で自分の料理を食べるか、という話です。AI を売る会社が、その AI を自分の仕事でどこまで使っているか。これは、その AI が本当に使い物になるのかを映す、いちばん正直な鏡でもあります。
「AI が AI を作る」という、めまいのする再帰
まず、いちばん驚く数字から。Anthropic の CEO は、新しい Claude のモデルや機能のコードの大部分 ── 9割以上 ── が、いまや AI エージェントによって自律的に書かれている、と語っています。人間の役割は、コードを直接書くことから、「全体を設計する建築家」と「安全を点検する監査役」へと移った、と。
これは、めまいのする構図です。AI を作るためのコードを、AI が書いている。次の世代の AI が、いまの世代の AI の手で生まれてくる。蛇が自分の尻尾を飲み込んでいくような、再帰のループです。他社も近い方向にいて、Microsoft は社内のコードの3〜4割が AI 製と報告し、Meta は2026年末までに AI を「中堅エンジニア」として働かせる目標を掲げています。Google も社内コードの約3割を Gemini で自動化している。

コードだけじゃない ── 「私、開発者になっちゃった」
面白いのは、これがエンジニアだけの話で終わらないことです。Anthropic は自社での使われ方を詳しく公開していて(社員を ant=アリ と呼ぶので、社内では antfooding と呼ぶそうです)、その広がりが興味深い。
たとえば法務の担当者が、エンジニアの手を借りずに、社内の適切な弁護士を見つける「電話ツリー」のプロトタイプを自作する。マーケティングのチームが、広告コピーを作る時間を2時間から15分に縮める。コーディング経験のない財務担当者が、「このダッシュボードを照会して Excel を出して」と日本語(自然言語)で書くだけで、複雑なデータ処理を自分で回す。あるデザイナーは、エンジニアに修正を頼む代わりに自分でコードを直すようになり、「うそだろ、自分が開発者になったみたいだ」と漏らしたといいます。
これは、第2弾以来このシリーズで見てきた「専門家でなくても、AI を相棒にすれば一人で大きな仕事ができる」が、現実の職場で起きている姿です。エンジニアと非エンジニアの境界線が、社内で溶けはじめている。

でも、本当に「価値」は出ているのか
ここまでなら、AI 万歳の景気のいい話で終わります。でも、それでは第二章の締めにふさわしくない。もう一歩、冷めた問いに進みます。
「使っている」ことと「成果が出ている」ことは、別です。配車サービスの Uber が、いい例を見せてくれました。同社は2026年の AI 予算を、わずか数ヶ月で使い切ってしまい、利用の見直しに入っています。そして COO はこう指摘した ── 社員が AI を使っているのは確かだし、より多くのコードが出荷されてもいる。でも、その「トークンの使用量の増加」と「顧客が実際に実感できる製品の改善」とのあいだに、まだ明確な繋がりが見えない、と。
これは鋭い問いです。人間が書く代わりに AI が書けば、人件費は減るかもしれない。でも、その代わりに莫大な計算コスト(トークン代)がかかる。高い人件費を、別の高いコストに付け替えただけではないか? もっとコードが出荷されること自体は、もっと良い製品ができることと、同じではない。第4弾・第7弾で繰り返してきた「数字には、出どころと意味がある」が、ここでも効いてきます。「9割を AI が書いた」という数字は華やかですが、それが「9割の価値が生まれた」を意味するわけではないんです。
そして、新しい影 ── 「最後の1割」と、消えていく下積み
もう一つ、現場から見えてきた影があります。AI がコードの大部分を書くようになっても、人間の負担が同じだけ減るわけではない、という逆説です。「自分が書いていないコードを点検するのは、自分でゼロから書くより難しいことが多い」。AI が大量に書くほど、人間は「見たことのないコードを監査する」ボトルネックを抱える。そして最も厄介なエッジケースや統合の「最後の1割」には、まだ人間の直感が要る。
さらに、長い目で見た心配もあります。AI が下働きを全部引き受けてしまうと、若手のエンジニアが下積みで腕を磨く機会が消える。将来「全体を設計する建築家」になるはずの人材を、どう育てるのか。便利さの裏で、静かに失われていくものがある。
鏡は、正直だった
調べてみて見えたのは、こういう景色です。AI を作る会社は、たしかに自分の AI を、想像以上に深く社内で使っている。それは「自分たちで食べてみせる」という、製品への自信の表れでもある。一方で、その当人たちが、いちばん冷静に「で、本当に価値は出てるのか?」と問い続けてもいる。
「自分の犬のエサを食べる」という鏡は、正直でした。美味しいところも、まだ硬いところも、両方そのまま映している。AI が AI を作る時代に入っても、最後に「これは本当に意味があるか」を問うのは、やはり人間の仕事として残っている ── そのことが、かえってくっきり見えた気がします。
あなたの職場には、もう AI は入っていますか。入っているとして ── それは、忙しさを増やしましたか。それとも、価値を増やしましたか。その二つは、思っているより別のことなのかもしれません。
続いて第三章へ:AI の歴史は、どこから始まったのか ── 75年の、二度の冬と三度の春【第三章・序章】
第二章はここで一旦完結。次の章は時間軸を縦に、AI 75 年の道のりを歩き直します。序章で 75 年全体の見取り図を示したあと、各時代を 1 本ずつ深掘りする連作 8 本予定。










