先週の火曜日、整骨院の待合室で順番を待っていたら、雑誌の中に「技術が命の始まりを変えた」というような見出しの記事を見つけた。読み流しただけで、内容のほとんどは覚えていない。ただ、写真の中で銀色の小さな器具がガラスの皿の上に置かれていて、その光り方が、なぜか家にある古い体温計を思い出させた。受付の人に名前を呼ばれて、僕は雑誌を膝に伏せたまま立ち上がった。
家に帰って、夕方、抽斗を開ける用事があった。ハサミを探していたのだが、ハサミは出てこなくて、代わりに古い住所録が出てきた。表紙が日に焼けて、薄い緑色になっている。中をめくると、知らない名前がいくつもある。妻の字で書かれているもの、僕の字で書かれているもの、それから、妻と僕のどちらが書いたのか分からない字もあった。三十代の頃の字は、夫婦で似てくるのかもしれない。あるいは、ただ僕の記憶が雑なだけかもしれない。
その住所録の最後のページに、妻のメモ書きで「もし子供ができたら、海の近くに住もうか」と書いてあった。日付はない。隣に小さな丸が一つ、何のしるしか分からないが描かれていた。
あの会話のことは、僕もぼんやり覚えている。結婚して三年か四年経った頃で、僕らはまだ西武新宿線沿いの古い木造アパートに住んでいて、夏になると畳がじっとり湿った。ある夜、たぶん枝豆か何かを食べながら、妻が言ったのだ。「もし子供ができたら、海の近くに住もうか」と。僕は「うん」と答えた気がする。あるいは「うん」とすら言わず、ビールを飲んだだけかもしれない。それから僕らはなんとなく違う話に移って、その夜、海の話は二度と出てこなかった。
結局、僕らに子供はできなかった。いろいろあったが、そのいろいろは、ここに書くようなことでもない。海の近くに住むこともなかった。今も内陸の、駅から十二分の家に住んでいる。それでも、あの夜の「もし」という言葉は、不思議と消えずに、抽斗の奥の住所録のページに、化石の指紋みたいに残っていたわけだ。
もっとも僕という人間は、起こらなかったことの方を、起こったことよりも丁寧に覚えている悪い癖があって、これは記憶力が良いというより、たぶん別の何かが欠けているのだと思う。
整骨院の雑誌に戻ると、記事の主題は要するに、人間が命の始まりに以前よりずっと深く関わるようになった、ということらしかった。器具があり、培養液があり、選択があり、手順がある。「自然」という言葉が、ずいぶん遠くに押しやられている、というような書き方がされていた気がする。
家の縁側で、日が暮れかかった庭を見ながら、少し考えた。僕らの世代は「自然に任せる」という言葉を、ずいぶん気軽に使ってきた。子供のこと、病気のこと、別れのこと、死ぬことまで。けれども振り返ってみると、僕らが「自然」と呼んでいたものは、本当にそんなに自然だったのだろうか。あの夜、妻が「もし子供ができたら」と言ったとき、その「もし」の中には、運に任せる気持ちと、何かを選びたくない気持ちと、選べない時代の空気とが、たぶん全部混ざっていた。それを僕らは「自然」とひと括りに呼んでいたわけだ。便利な袋だ。中身を確認しなくて済む。
近所の植木屋の親方が、以前こんなことを言っていたのを思い出す。「自然に育つって言うけど、人が手を入れないと、庭ってのはあっという間に荒れるんだよ。何もしないってのは、それはそれで決断だからね」。当時はふうん、と思っただけだったが、今になって、なるほどそういうことかもしれない、と思う。何もしないことを選ぶのも、選ぶことの一つだ。技術がそこに割り込んできたとき、人間は初めて、自分が何を選んでいたのか、何を選んでいなかったのかに気づくのかもしれない。
偶然と意志のあいだに、薄い膜のようなものがある。普段はその膜が見えないので、僕らは何もかも偶然のように、あるいは何もかも意志のように、都合よく振り分けて生きていける。けれども技術がその膜に触れたとたん、膜の存在が浮かび上がってくる。「もし」という言葉の重さが、突然変わってくるのだ。
住所録を抽斗に戻して、ハサミは結局、台所の引き出しの方から出てきた。妻が新聞を切り抜いた跡が、テーブルの上に残っていた。何の記事を切り抜いたのかは、訊かなかった。
そういえば一九八七年の春、まだ西武新宿線のアパートにいた頃、駅前の小さな喫茶店で、隣の席の若い夫婦が「子供ができたらこの店にも来られなくなるね」と笑っていたのを覚えている。あの夫婦が今どうしているのかは、もちろん知らない。たぶん知ることもないだろう。
(このエッセイは、生殖医療の発展と技術が命の選択に与える影響について、静かに思考したものです。)










