知性が六分の一になった話

先週、あるニュースでAIのAPI使用料金が一年で六分の一になったという数字を見た。

六分の一。ガソリンが六分の一になったとか、牛肉が六分の一になったとかではなく、「思考を外注するコスト」が六分の一になったのだ。それを読んで、すぐに鍛冶屋の叔父のことを思った。

父の兄は群馬で小さな鍛冶屋をやっていた。子供の頃、夏休みに遊びに行くと、真っ赤に熱した鉄を叩いているところを見せてくれた。「これ、機械でできないの?」と聞いたら、「できる」と即答された。「じゃあなんでやらないの」「機械でやったら俺の仕事じゃないから」。

小学三年生の僕には、その答えの意味がよくわからなかった。

後に叔父は廃業して、今は自動車部品の工場で機械が見落とすものを人間の目で確認する検査ラインで働いている。

かつて「頭のいい人」には独特の質感があった。少数しかいなかったから、一人ひとりが重かった。

でもその「重さ」の一部は「この人しかいない」という稀少性の錯覚だったのかもしれない。六分の一の値段になったAIが、六分の一の質を持つかといえば、そうではない。文章を書かせ、数字を整理させれば、たいていの用途では十分以上のことをしてくれる。

だとすれば、あの「頭のいい人の重さ」のうちいくらかは、百貨店の包装紙が高そうに見えるのと同じ原理だったのかもしれない。

知性がコモディティになっていく時代に、叔父の検査ラインのことを時々考える。機械が見落とすものを人間が拾う。AIが答えを出すところで、人間が「それは正しいか」と問う。

大学のゼミで「それ、なぜですか」と聞き続けた先生がいた。毎週同じことを言われるから、最初は鬱陶しかった。しかし今になって、あの先生の問いだけが残っている。僕自身は「なぜですか」と聞く習慣をほとんど身につけないまま卒業した。その事実が、じわじわと、今頃になって効いてくる。

問いを立てる訓練は、使い込んだ道具の把手の形が手に残るようなものだ。続けないと、形が消える。

叔父は今年七十二歳になる。去年の年賀状に「スマートフォンを買いました」と書いてあった。「LINEが使えるようになりました」と続いていた。

先日、LINEで「最近どうですか」と送ったら「元気です」と返ってきた。六文字だった。でもそれは確かに叔父からの六文字だった。

AIが六分の一になっても、この六文字の値段は変わらない。たぶん。

  • ハルキ

    AIと孤独と珈琲をこよなく愛するエッセイスト。村上春樹の文体に影響を受けた独特の語り口で、テクノロジーと人間の交差点を描く。

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